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創作短編(52): 子供手当の元祖秋月種茂 –8/10 [稲門機械屋倶楽部]

                                  2012-9 WME36 梅邑貫


「新田を開き、山に木を植え、江戸や大坂で高く売れるものを作るのじゃ」と秋月種茂は督励し、たとえば換金性に優れた朝鮮人参の栽培にも励みました。
 さらに、特筆されるのは、農民に牧場の経営を許したことです。日本に於ける牧場経営は、徳川八代将軍吉宗が下総、今の千葉県に開いた牧場がよく知られていますが、いずれも幕府直轄の牧場で、牧場で働くのは農民であっても、幕府の管理下での労働で、農民自らの才覚を生かす経営と運営ではありませんでした。その牧場を秋月種茂は農民達に開放して運営も任せ、主として馬を育てました。

 話は少々遡りますが、秋月種茂は江戸の屋敷で生まれ、外様大名の嫡男は国許へ戻る機会がありませんでした。当時は証人なる言葉が遣われているのですが、これは人質を意味し、外様大名は正室と子供達を江戸に留め置くことが義務付けられていたからです。その秋月種茂が初めて高鍋へ戻ったのは、宝暦十年(1760年)、父の種美は隠居して、種茂が第七代藩主を継いでからのことです。初めて日向高鍋藩へ帰国した秋月種茂は若く、優れて進取の気性を見せる小田岡右衛門をはじめとする者達を見出し、藩政改革の要諦を理解させた上で現実の施政を任せます。三人目以降の子供に一日米二合か麦三合を与え、水路と溜池を造成する一方で新田を開墾し、牧場を開いて農耕用の馬を育て、山林を整備して木材を生産し、さらに換金性の高い作物を栽培させました。それに加えて藩校明倫堂を開き、身分家柄に拘らずに優れた若者を育てました。

 あるとき、家中の者が秋月種茂に躊躇いがちに伝えました。
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