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創作短編(52): 子供手当の元祖秋月種茂 –5/10 [稲門機械屋倶楽部]

                                                  WME36 梅邑貫


 日向高鍋藩の江戸表屋敷は麻布にありました。今の地図に引き直すと、麻布広尾交差点から東へ進み、有栖川宮記念公園に突き当たり、左へ進んで公園に沿って右へ曲って公園の向かい側の辺りでした。一方、米沢上杉家の江戸表屋敷は桜田門の正面、現在の東京警視庁の向かい側でした。
 又、江戸城へ登城した際、上杉治憲の控えの間は大広間ですが、秋月種茂は柳の間で控えました。大広間と柳の間は江戸城の本丸内で直ぐ近くに位置しますが、大名が勝手に他の大名の控の間を訪ね歩いて気安く声を掛けることもできません。実の兄弟の間でも、互いに屋敷を訪ね合うか、書状を認めて送るしかありません。

 ある日、麻布の日向高鍋藩の江戸表屋敷へ桜田門外の米沢藩表屋敷から使いの者が書状を届けに来ました。

「兄上、我が米沢を如何致すべきや。藩庫が軽きこと、事実、この上なく、加えて、永年に及びて借入れたる莫大なる金銀の証文も高く積まれおり、日夜、一時と雖も、心休めることができませぬ。秋月家を離れまする折、兄上より懇々と諭されましたる御言葉を幾たびも思い起こしおりまする。兄上が申されましたること、何事にも先んじて人を求めよ、人なくば人を育てよ。まことに至当なる御言葉にして、今まさに身に沁みて、粗衣粗食の我が両肩に圧し掛かりおりまする」

  大名の間で文書を交わすときは、相手の官位で呼ぶのが習わしでした。官位とは、たとえば大岡越前守忠相の「越前守」の部分です。この頃、兄の日向高鍋藩主秋月種茂は従五位下、山城守です。


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