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こげ茶色の細い竹 -21/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

   
家へ着くと玄関に、奥さんと息子さんが出迎えていた。苦りきった表情ではなかった。何をしてくれたかと、次郎は責められると思ったが、そんな態度は見せなかったので安堵した。
  
寝室に用意された自分の布団に、運ばれて寝ると、先生は薄目を開けた。両手両足を広げて、大の字になり、「あー、あー」と叫び両眼から数滴の涙を流した。そして目を閉じた。大きな身体は、やつれた顔と比較すると衰えて見えなかった。

    きっと先生は、身体に染み付いたいつもの布団の暖かみと、畳の程よい硬さを全身で満喫しているに違いない。
「この寝床の感触だ! もう一度、肌で感じてみたかったのは……。見ておきたかった天井の木目模様、あそこに汚れがあった! 襖の丸い取っ手、いつも開け閉めしていた。この部屋の少し冷えた空気の臭い……。安らぎを感ずるなあ」
   
と身体全体で、感じ取っていたのだろうか。静かに、深呼吸をしているように見えた。
   
残った生きる時間の全てを、この満足感で、満たそうとしているように思えた。同時に、俺は精一杯生きてきた。もう、これで何も要らないというメッセージが、次郎の耳に聞こえて来たような気がした。
  
それから、じっと目を閉じていたが、物事を達成した喜びを表すかのように、微かに口元がほころび、動いたかに見えた。何か囁いているのであろうか。確かに聞こえた。次郎には「アリガトウ」と聞こえた気がした。
  
すると、次郎は目頭から大粒の涙が、湧き出てきた。奥さんも、息子さんにも聞こえたのであろうか、すすり泣く声がしてきた。
  
その後、先生は、目を覚ますことはなかった。

  
翌日の夕方、次郎は書斎にいた。本を開いても文字が目に入らない。頭の中が白い雲で覆われたように、何も考えることができなかった。だが、昨日のことだけが、駆け巡っていく。
「本当に、正しいことをしたのであろうか」という言葉が、流れていった。やがて、白い雲にかき消されていった。
  
突然、バタンと大きく弾んだ音がした。音のした方を見ると、書斎の隅に立て掛けてあった拾数本の細い竹の一本が、床に倒れていた。
   
所々、まだら模様になった灰色の斑点が、目につくこげ茶色である。ひときわ、艶があり照り輝いていた。
                                                                           
(完)


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ぼくあずさ

刀根さん
誰も書かない重いテーマの小説だと思いました。
秩父34観音札所に「ぽっくり寺」と呼ばれる寺があります。
2年ほど前に自分の意思でホスピスに入られた友人がいます。

by ぼくあずさ (2012-08-15 18:19) 

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