SSブログ

創作短編(49):番外編 江戸の珍商売 -7/8 [稲門機械屋倶楽部]

               2012-08 WEME36 梅邑貫


読売り

 世の中の大きな出来事や変事を声高らかに伝えながら、一頁か数頁の刷物を売り歩いたのが「読売り」で、そのニュースを売り歩く者を「読売者」と呼びました。
 読売新聞の命名の謂われとのことですが、江戸時代中期には職業として存在し、幕府からは幾度も禁令が出ていますが、根強く生き残りました。日本のジャーナリズムとジャーナリズム精神の草分けです。


八品商(ハッピンショウ、或いは、ハッピンアキナイ)

 江戸時代に「八品商」と呼ばれる職業、或いは商売がありました。但し、珍商売ではありません。
 
質屋、古道具屋、古鉄(フルガネ)屋、古鉄買い、小道具屋、古着屋、古着買い、唐物屋の八種の商売です。唐物屋は「トウブツヤ」、或いは「カラモノヤ」と読みますが、主として中国から輸入した商品を扱い、後に中国に限らぬ輸入品も扱い、やがて「小道具商」の意味に転じます。
 この八品商は盗品を扱うことも多く、享保八年(1773年)、幕府は八品を扱う者達に組合を作らせ、監視の目が届き易いようにします。享保八年とは、八代将軍吉宗の時代であり、大岡越前守忠相が江戸南町奉行として、又、将軍吉宗の補佐役として、江戸の町政改革に知恵を絞った時代でもあります。
 八品商のそれぞれの商売はこの享保の時代以前から存在していたのですが、上述の如く、盗品売買の巣となり、一方で江戸庶民の日々の生活とも密接な関係があることから、幕府はその商売の在り方について強力な監視と行政指導に乗り出しました。
 質屋は江戸庶民にとって欠かすことのできない存在で、その利息を3%と抑えて、庶民生活を経済的に支える重要な一翼を担わせました。
 
古着屋は、2011810日から「ぼくあずさは地球人」の連載された創作短編(26):「三日コロリ」にも登場するように、江戸庶民の衣服需要を事実上支える存在でありました。


nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。