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創作短編(48):緒方洪庵 -6/9 [稲門機械屋倶楽部]

              2012-07 WMER36 梅邑貫


 福沢諭吉が腸チフスに罹りました。それがいつのことか、諸々調べても判らぬままですが、多分、安政二年(1855年)のことと推察します。このとき、緒方洪庵は治療を施しておりますが、次の言葉を遺しています。
「乃公はお前の病気を屹(キッ)と診てやるぞ。診てやるけど、乃公が自分で処方することは出来ん。何分にも迷うてしまう。この薬あの薬と迷うて、後になって、そうでもなかったと言って、また薬の加減をするというような訳で、終いには何の療治をしたか訳が分からぬようになるのは人情の免れぬことであるから、病は診てやるが、執匙は外の医者に頼む。そのつもりで居れ」


 乃公とは、今はまったく聞かない言葉ですが、「ダイコウ」と読み、高名な教官や師匠が若い生徒や弟子に向って、「我輩」は言うような意味合いです。
 緒方洪庵が診察して、福沢諭吉は腸チフスと断定され、薬の処方と後々の処置は緒方洪庵の親しい友人で医師でもある内藤数馬に托されました。
 福沢諭吉は無事に快癒して、この後、出身地の九州中津へ一時戻っております。


 この間、緒方洪庵は幕府に対して、自ら開いた「除痘館」のみを唯一の公認種痘所とするよう請願を続け、安政五年(
1858年)四月二十四日、大坂町奉行戸田伊豆守氏栄(ウジヨシ)から幕府の公認を得ることができ、加えて、以後は幕府による免許がなくては種痘の接種ができないことになりました。


 又、昨年の8月10日から「ぼくあずさは地球人」に連載された創作短編(26)「三日コロリ」を読者の皆さんは御記憶でしょうか。コロリとはコレラのことで、罹ると三日で死んでしまうので「三日コロリ」と呼ばれました。この「コロリ」は漢字では「虎狼痢」と書きます。安政五年(1858年)、全国にコレラが流行りましたが、緒方洪庵は「虎狼痢治準」を著わして全国に医師に配布しました


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M.N

緒方洪庵、とても興味深く拝読しております。
なぜなら、洪庵の孫娘が私の母のクラスメートだったからです。

そのF高女はカトリックの女学校で、緒方美代子さんは敬虔なクリスチャンでした。
母は「こないだのクラス会で緒方さんがね・・・」などと、よく話していたものです。

美代子さんも医者に嫁がれ、夫君は築地のがんセンターの院長になられました。
父ががんセンターに入院したことを知った美代子さんは、わが事のように心配して、母を励ましてくれたのを覚えています。

もう30年近く前の話です。
by M.N (2012-07-28 12:26) 

梅邑貫

M. N さんへ

私が図々しく口を挟むことではないのですが、緒方美代子さんのお話をお聞かせいただき有難うございます。
緒方美代子さんは緒方洪庵の夫人八重さんが産んだ十数人の子供の誰かの娘さんに当りますが、大勢の読者の方々の内に知己を結んだ方がおられると知り、驚きもし、嬉しくもあり、迂闊なことは書けないと自戒もしております。
今後も「ぼくあずさは地球人」をよろしくお引き立て下さい。重ねて有難うございます。
by 梅邑貫 (2012-07-28 17:30) 

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