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創作短編(47):番外編 時代劇を楽しむ基礎知識 -5/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                                        2012-07 WME36 梅邑貫


5 番方(バンカタ)と役方(ヤクカタ)


  旗本とは、元来は本陣とか将軍が陣取る本営の意味であり、将軍が坐する本陣を護り、将軍の身辺を警護する親衛隊であり、その戦闘集団を「番方」と称しました。番方には次の五種類の職掌があります。


   
大番(オオバン)
    書院番(ショインバン)
    小姓組(コショウグミ)、或いは御小姓組(ゴコショウグミ)
    新番(シンバン)
    小十人組(コジュウニングミ)    

     
この五種の職務を「五番方」と呼びますが、三番方と言えば①、②、③であり、「両番方」と称すれば②と③です。少しややこしいのですが、上記五つの職掌の序列は小姓組、書院番、大番、新番、小十人組の順であり、それぞれの番方の頭の場合は大番頭(オオバン・カシラ)と呼ばれました。

   
武士として生まれ、旗本の家系に連なれば、この番方の一員になることを望むのですが、一方では平和な世の中の狭き門でもありました。 
    
この番方と並んで役方がありました。役方は、今日流に言えば、文官であり、その最高位は勘定奉行と町奉行です。
  
勘定奉行と町奉行に寺社奉行を加えて三奉行と呼びますが、寺社奉行は大名でなくては就けない職で、勘定奉行と町奉行は旗本が就くことができました。


  かの有名な大岡越前守忠相は元々は旗本であり、南町奉行として後世にも語り継がれていますが、最後は寺社奉行に昇進しております。
  
大岡忠相が寺社奉行に就けたのは、町奉行としての功績によって度々の加増を受けて、最後に一万石に達して大名となったからで、大岡忠相は三河國西大平藩を与えられて、寛延元年(1748年)から宝暦元年(1751年)の間、初代藩主として務めておりました。西大平藩とは現在の愛知県岡崎市大平町で、城はなく、藩庁は陣屋で、その陣屋の跡が今は公園となっています。


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