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ロシア大統領の国後島訪問の背後 –1/2 [稲門機械屋倶楽部]

                     2012-07 WME36 村尾鐵男


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年前の2,010111日、ロシア大統領メドベージェフが我が国の領土である国後島を訪問し、これに対し、当時の首相菅直人と外相前原誠司が「暴挙」であると非難し、日露間の領土問題はますます隘路に嵌まり込んだと語られました。
当時のメドベージェフはプーチンの傀儡如き大統領であり、任期一年ほどを残し、世論調査の支持率も下がり、20115月に任期が終わった後の処し方に迷っていました。国後島での滞在時間は僅かに3時間で、自ら四輪駆動車を駆って住民の生活状況を見て廻り、生活向上を約束して国後島を去りました。


NHK
の元モスクワ支局長を務め、作新学園大学で教鞭を執る小林和男氏によると、メドベージェフの支持率は国後島視察の後で3%上昇したそうです。ただ、その前の支持率がどれほどであったかは不明です。

1867
1018日、当時のロシア領アラスカがアメリカへ売却されました。クリミヤ戦争の膨大な戦費を賄うために、不毛の領土を米国へ売ったのですが、1エーカー(≒ 4,047㎡)当り2セントで、総額720万米ドルです。ロシアから米国へ売られたアラスカの総面積は148万㎢で、日本のほぼ4倍に当る広大な土地ですが、米国では「役に立たない冷凍庫」を買わされたと政府が非難されたほどです。尚、当時の日本は慶応3年で、江戸幕府最後の年でしたが、1米ドルは明治政府になってからも1円でした。


その後、不毛のはずのアラスカから石油が出て、今はレア・アースの宝庫と化し、ソ連当時も今のロシアにとっても、アラスカを米国へ売ったのは最大の痛恨事となっており、領土問題はロシア人の深層心理に溜まった複雑な感情と絡まり続けているのが偽らざるところで、領土を守る政治家の人気は高まります。


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村尾鐵男

7月3日の今日、メドベージェフは再び国後島へ現れました。
この原稿は昨日、7月2日に書いたのですが、何故、メドベージェフは国後島へ再度現れたのか。続編をお読み下さい。
by 村尾鐵男 (2012-07-03 19:48) 

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