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創作短編(42):板額御前 -8/10 [稲門機械屋倶楽部]

                          2012-04 WME36 梅邑貫

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  甲斐國から鎌倉まではそれほど遠くはありません。最初は板額御前の左右の上腕を縛っていた縄が解かれ、やがて浅利義遠の馬が並び、旅の徒然に言葉を交わし始めました。

 浅利義遠も初めはこの女武者、それも強弓の技を身に着けた板額御前を警戒していましたが、甲斐國から相模國へ進む頃には、板額御前の堂々として物怖じせず、命欲しさに卑屈にもならない態度に敬意を抱き始めました。

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「御前、弓は誰に習われたのじゃ」

「別に誰と申すものではござらぬ。幼き頃、玩具代わりに与えられたる小さき弓で、鳥坂城内で目に入る物、何であれ射っておる内によう命中するように相なり申したのじゃ」

「佐々木西念殿の家中の者が歎いておりましたぞ」

「何をじゃ。西念殿は吾等に勝ちましたぞ。それで何を歎かれるのじゃ」

「御前の弓で、幾人が倒されたか。御前は存知おられぬのか」

「さあ、幾人になりましょうぞ。五十までは数えおりしも、後は面倒になり申したのじゃ。吾が弓矢で討った者、百を越そうか」

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浅利義遠は板額御前と戦わずに済んだことを有難いと思いながらも、隣で馬を進める女武者に愛おしさ感ずるほどになっていました。

やがて鎌倉へ着き、浅利義遠は頼朝時代に建てられ、今は頼家が主となっている大蔵御所へ直ぐに伺候しなくてはなりませんが、その前に長旅の埃を落とすために、大蔵御所近くに与えられている屋敷へ向かいました。

その際、板額御前を如何にすべきか迷いました。本来なら大蔵御所へ囚われ人として連れて行き、板額御前の身柄を大蔵御所のしかるべき役所に引き渡すべきですが、浅利義遠は迷いに迷った末に、「えい、ままよ」と、板額御前を自分の屋敷に留めました。

「御前、越後からの遠路、疲れたであろう。ゆるりとされよ」と言って、特に警護や監視の者を配することなく、あたかも遠来の客人の如く丁重に扱いました。これには、むしろ板額御前が当惑するほどでした。

「浅利殿、このようにゆるりとして、よろしいのか」

「お構いなしでござる」


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