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緊急投稿:大地震に襲われたスマトラのアチェ [稲門機械屋倶楽部]

                                 2012-4-12 WME36 村尾鐵男

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 既に新聞でも報ぜられておりますが、一昨日の410日夕刻頃、インドネシア・スマトラ島最北端のアチェが大きな地震に襲われました。

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 世界地図を御覧下さい。アチェ(Ache)はスマトラ島の最北端にあり、インドネシアの最西端でもり、マラッカ海峡を挟んでマレー半島のタイとマレーシアの国境にも近い場所です。

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 毛沢東が華やかだった頃、タイにもマレーシアにも中国共産党員を侵入させ、非合法活動によってタイとマレーシアの政権を転覆させようと試みました。これに対して、タイとマレーシアの両国政府は連携し、タイは国内の共産主義組織を南部へ追いやり、一方、マレーシア政府は共産主義者を北部へ追いました。その結果、タイとマレーシアで追い詰められた共産主義者は両国の軍に追われて、タイ・マレーシアの国境地帯に追い込まれて逃げ場を失いました。.

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その頃、マラッカ海峡の向こう側に位置するスマトラ島はインドネシア領で、その大統領は第三勢力の旗手と言われ、容共を公然と表明し、中国とも手を結んでいたスカルノでした。タイとマレーシアの国境に追い込まれた共産主義者、正確には毛沢東主義者ですが、彼等はマラッカ海峡を渡ってスマトラ島北端のアチェへ逃れ、これを、中国の内々の働き掛けがあったかどうかは判りませんが、インドネシア大統領のスカルノは黙認しました。

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毛沢東主義者がいなくても、アチェは統治の難しい場所として有名でした。先ず方言があって、日本人が訪れるときは、アチェ語からジャワ語へ、ジャワ語から英語へと、二人の通訳を伴わなくてはならず、さらにスカルノ政権が倒れた後のスハルト政権は一転して反共政策を進めたので、アチェの毛沢東主義者は地下へ隠れてしまい、治安が悪化しました。その後、アチェの治安も回復し、共産主義者も今や殆どが存在せず、普通の長閑なインドネシアの地方都市に変貌してはいるのですが、それでもインドネシア人そのものがアチェに対する抜き難い偏見を持っており、依然として統治するには難しい場所です。


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