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原発再稼働から逃げ回る政府の罪 -3/4 [明治維新胎動の地、萩]

                      .by N.Hori

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(WEDGE・20124月号)の抄訳

「東電国有化は政府の欺瞞」(森本紀行著、HCアセットマネジメント社長)

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東京電力への資本投入をめぐり、「十分な議決権」を求める枝野経産相。”東電憎し“が高まる世論を意識した「実質国有化」だが、政治の側に問題はないのか。歪んだ経営介入で、政策の欺瞞を隠す政府のやり方にこそ、批判の声をあげるべきだ。

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東電に向けられる批判には正当なものも多かろうが、冷静に事実と法律だけを直視した時、いわれなき批判とみなされるものもあるのではないか。

東電については、政府の定めた安全基準違反や事故原因になる過失のあったことは立証されていない。東電は、法律上の無過失責任のもとで賠償責任を認めただけである。そこに批判されるべき要素はないのだ。

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一方、政府こそ批判されるべきではないのか。政府は東電に第一義的な原子力損害補償責任があると言うが、その意味は、第二義的には政府に責任があることを認めたものであろう。

しかし、私には、政府は果たすべき責任を果たしていないように思える。政府は、自らの責任を棚に上げて、東電にいわれなき批判をぶつけることで不当な国有化を実現しようとし、結果的に国民に賠償責任を負わせようとしている。この不当を糾すことが国民に求められているのではないか。

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「原子力の損害に関する法律」は、第16条で、原子力事業者の損害賠償履行について「必要な援助を行うものとする」という政府の義務を定めている。事実、政府は東電の支援に当たっており、責任を果たしているようにみえる。しかし、本来の府立の趣旨は政府のとった施策とは全く異なるもののはずだ。その鍵となるのが東電の無過失無限責任の意味である。一般の過失責任では、被害者に過失の立証責任がある。これでは、原子力発電のように専門性の著しく高い分野では、被害者の立場は著しく不利なものになる。


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村尾鐵男

N. Hori さんが紹介されている Wedge(ウェッジ)は創刊されてかなりの年数が経ちますが、初めは、私の記憶では、JR東海が出版していました。おそらく、新幹線の東京・名古屋間とか名古屋・大坂間で読み切れることを念頭に、薄くて安く、しかも内容は充実していました。
私もよく買って読みましたが、今は横浜では容易に買えません。JR東日本の売店では売っていまいからです。
ところで、N. Hori さんの連載を最期まで読まないと判らないのですが、連載第3回では東電の立場を擁護し、政府の振る舞いを批判しています。その通りだと思います。しかし、東電も、特に社長が国会で奇妙な発言をしたり、賠償手続で役所顔負けの硬直した手法を採ったり、世間が東電に理解を示す好機を自ら潰している感もあります。
by 村尾鐵男 (2012-03-25 07:37) 

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