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創作短編(38):江戸の悪党 鳶沢甚内 -7/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                                            2012-02 MWE36 梅邑貫

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 家康は甚内の願いを聴き、「強欲もほどほどにせよ」と言い掛けたのですが、思うところがあって言葉を呑み込み、別のことを問いました。

「其の方、縄が上手いそうじゃな」

「箱根山中にて鍛えてござりまする」

「風魔が相手か。風魔は既に滅びたと思うておったが」

「はっ。北條と共に滅びてございまする。いや、各地へ散っておりまする」

「甚内、その方は風魔の残党を見分けられるか」

「はっ。物腰より凡そではござりまするが」

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 家康は江戸へ入った天正十八年(1590年)、直ぐに天野三郎兵衛康景を町奉行に任じていますが、江戸の町奉行が南北に設けられたのはほぼ十五年後の慶長九年(1604年)からです。

 尚、天野三郎兵衛康景は後に駿河興国寺藩の藩主となっていますが、興国寺藩とは現在の静岡県沼津市の一部です。

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 鳶沢甚内は自ら商う古着屋に現われた盗賊や盗品を持ち込んだ怪しい者を捕らえて町奉行所へ突き出していましたが、そのときの捕縄が素人の技ではないことを町奉行所の与力や同心が見破っていました。

盗賊や疑わしい者に素早く縄を掛けて、いくらもがいても解けることがなく、逃げ出した者には甚内が得意の投げ縄で捕らえていました。

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 それを聞いた家康は、未だ町奉行所の態勢が十分に整ってはいないので、甚内の縄に期待するところ大であり、さらには江戸へ潜入している箱根の風魔を捕らえるにも甚内の力を借りたいと思い、甚内に古着商いの独占権を与えるのも一法と考えました。

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「そうか、そちの縄の上手さは風魔の術であったか。どうじゃ、甚内、名を替えぬか」

「はっ。上様の御下命とあらば、如何様なる名であれ、躊躇わずに名を替えまする」


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