創作短編(38):江戸の悪党 鳶沢甚内 -3/8 [稲門機械屋倶楽部]
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2012-02 MWE36 梅邑貫
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豊臣秀吉から関東への移封を命ぜられた徳川家康は、委細逆らうことをせずに、天正十八年(1590年)八月一日に江戸へ入りました。
ところが、この徳川家康の江戸入りを追いかけて、大勢の者が続々と江戸へ入ったのですが、その中に鳶沢甚内(トビサワ・ジンナイ)がおりました。
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今の世も同じですが、世の中を善くしてくれる為政者と、口先だけで実の伴わない為政者を庶民は鋭敏に嗅ぎ取ります。
既に江戸に住んでいた者だけでなく、江戸から遠く離れた者達も、徳川家康の江戸入りを将来への期待感を以て歓迎し、江戸の経済発展を享受せんと大勢の者が江戸へ集りました。
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ただ、その総てが善人ばかりではありません。大勢の人が集るところには、必ず善からぬ者も集ります。
鳶沢甚内の生没年は不詳ですが、小田原浪人であったと伝えられております。小田原浪人とは、秀吉や家康の軍勢によって潰された北條方の武士であり、主家が亡びて止むを得ず浪人となった者のことです。
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話は少々跳びますが、箱根山中には「風魔(フウマ、或いはカザマ)」と呼ばれる忍者集団がおりました。この風魔は時代小説でよく描かれるのですが、実態が良く判りません。ただ、北條家、鎌倉時代の北條と区別するために後北條家とも言いますが、北條の始祖である北條早雲の頃から陰で北條を支え続け、代々が風魔小太郎と名乗ります。小田原城が陥落した頃は五代目の風魔小太郎ですが、後に徳川幕府によって斬られており、風魔一族はこの時期に滅亡したことになっております。
しかし、残党が江戸へ入って盗賊と化したようで、初期の徳川幕府にとっては、江戸の治安を保つ上で風魔は厄介な存在でした。
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「風魔を一掃せよ」と、家康は配下の者に激を飛ばし続けるのですが、何しろ忍者達ですから、容易に捕まる相手ではありません。江戸時代が行政面で態勢を確立するのは三代将軍家光の頃であり、家康の頃には未だ治安維持の体制も出来上がっていませんでした。
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