創作短編(37):江戸の悪党向坂甚内 -2/10 [稲門機械屋倶楽部]
2011-10 WME36 梅邑貫
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「甚太郎、わしの側を離れるな。お前の父、昌信は海津に在って、武田と上杉の間を取り持っておったが、親より先に、最早、逝ってしもうた」
まだ生まれて間がなく、言葉も話せぬ甚太郎に祖父の高坂對馬は独り言のように言い聞かせました。
武田領の海津城とは今の長野県松代のことで、5kmか6kmの距離を挟んで川向こうの川中島を見下ろす位置にあります。
「甚太郎、海津を離れるのじゃ。ここにおっては、わしはもとより、幼いお前も命が危ない」
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高坂甚太郎の生年が明らかでないのですが、天正六年(1578年)、高坂弾正昌信が亡くなった後に甚太郎が生まれたであろうと推察されます。さらに甚太郎が高坂昌信の何番目の子供であったかも不明ですが、高坂對馬には目の中に入れても痛くない孫の甚太郎です。
「甚太郎、お前が言葉を話せるなら、わしは海津が好きじゃ。海津を離れとうはないと申すであろうな」
「わしも海津が好きじゃ。だがな甚太郎、よう考えるのじゃ。あの武田の軍団、無敵の騎馬軍団はもう消えてしもうた。海津は向かいに上杉の軍団と睨み合い、背後は北條に狙われておる。海津城に残りおる僅かな手勢で上杉と北條を防ぐこと、これは到底無理なることぞ。わしと共に海津を離れるのじゃ」
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周りの者達が、老齢の高坂對馬が乳飲み子の甚太郎を抱いて何処へ行くのかと心配顔で尋ねました。
「海津を離れて、何処(イズコ)へ参られますのじゃ」
高坂對馬には既に心に決めた場所があったのですが、周辺の者の口から漏れることを怖れて、行き先を明らかにはしません。
「西へ向かうのじゃ。上杉と北條の目から逃れんとせば、西へ向かう以外に策はなかろう」
「西と申しても広うござりまする」
「うん。少なくとも京より西になろうのう」
「ちと遠過ぎは致しませぬか」
「何の。甚太郎のためじゃ。年老いてからの子供は可愛いとの申すが、孫も同じじゃ」
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