須磨の関守 -1/2 [和田の泊りより]
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西島さん . あずささんの百人一首に啓蒙されて須磨の関跡を訪ねてみました。 本当に関があった場所かどうかは怪しいのですが一応関屋跡と言われている所です。
場所は山陽電鉄(山電と呼ぶ)須磨駅の北側に関守稲荷なる小さな社があり、そこに源兼昌の句碑や関跡の碑などがあり、それらしい格好にはなっています。兼昌の時代には既に関は無くなっていたようで彼は想像で詠んでいたのですね。クリックで歌碑が拡大します。
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神戸というところは山が海に迫っていて東西に細長い町なので、所謂ボトルネックになっていて関を作るには都合が良い地形ではありますが、この関守稲荷がある場所は現在の街道から一寸離れた小高い場所にあるので本当に関があった場所かどうかは聊か疑問です。
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この後、須磨の海岸に出て須磨浦公園まで1㎞程歩き、敦盛塚に行きそこに在った敦盛そばなる蕎麦屋で腹拵え。
敦盛蕎麦というので熱盛が出るのかと思ったら只のかけそばでしたが腹の中が温まりました。
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そしてまた山電で西に向かい舞子公園迄行き明石海峡大橋のたもとにある移情閣(現在は孫文記念館になっている)迄、足を延ばしました。
最近は海岸も開発が進んでいるので、昨日は白砂青松と書いたのですが、それぞれはあるのですが共存している所は残念ながら見つかりませんでした。 写真を数葉撮ったので添付します。
月川@神戸
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Re: 新しいカテゴリー「和田の泊りより」 [時々懇]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-01-08-5
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.---- Original Message -----
From: ぼくあずさ
Sent: Sunday, January 08, 2012 12:14 AM.
月川さん
須磨の海岸には新しい時代の歴史遺産があるのですね。移情閣とは洒落ていて,意味深ですね。最近の私は箱根越えさえも、稀なことですので、美しい海岸を訪ねることは無いかと思います。
なお、孫文といえば、近くの富岡(明治の政治家や文人の別荘地)に
「孫文日本上陸記念碑」があります。
先ずは情報ありがとうございました。
西島
数年前、昔の沖時代の奈良の友達と奈良散策、吉野山を訪れました折、
日本の文化は西から東へ伝播したことを身を以て感じました。 まさしく現代と昔の架け橋を感じました。
それにしても、推力を失った思い旅客機に乗っている我々どこで不時着するか、心配です。 緊急着陸前に、重い不必要なものはまず捨ててからでしょうか。
by 大嶋 (2012-01-08 20:41)
東京も無闇な都市改造で江戸時代の多数の遺構が暗渠に隠されてしまいましたが、神戸も「須磨の関」の標石が暗渠の中へ埋もれたとは残念なことです。
by 村尾鐵男 (2012-01-09 08:49)