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孔子家語 -6/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                   2011-12 WME36 村尾鐵男

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昔者江出於岷山、其始出也、其源可以濫觴。及其至江之津也、

不放舟不避風、則不可渉也。非唯下流水多邪。

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昔者(ムカシ)、江(コウ:長江、即ち揚子江のこと)は岷山(ビンサン)より出(イ)で、其の始(ハジ)めて出ずるや、其の源(ミナモト)は以って觴(サカズキ)を濫(ウカ)ぶべし。其の江の津に至るに及んでや、舟に放(ヨ)らず風を避けざれば、則(スナワ)ち渉(ワタ)るべからず。下流水多きを唯(モッ)てに非(アラ)ずや。

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 大河揚子江の源流は四川省と甘粛省の境に聳える岷山ですが、その細い流れには「觴(觴)」を「濫(ウカ)」べられるほどのようです。〈・・・ようです〉と表現するのは、私自身はその源流を見ていないからです。津とは渡し場のことです。

 この一文は荀子の「子道」に、孔子の言葉として引用され、それをさらに王粛が引用して孔子家言に著しましたが、「濫觴(ランショウ)」は物事の始まりの意味で遣われます。しかし、難しい言葉で、濫は川が氾濫する濫であり、觴は今は盃が一般的であって、濫觴が遣われることは滅多にありません。

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「孔子家言」を偽書としてしまうにはあまりにも内容が濃く、王粛の教養の高さが輝きます。

王粛(195-256)は魏の高官で、九卿の一人である太常の地位まで登り詰めていますが、今日流に言えば、閣僚にまで栄進しております。魏の国は、西暦220年に後漢王朝が亡び、その後の三国時代の一国で、呉、蜀と共に覇を争った「三国志」の一国でした。

その王粛が「孔子家言」を著したのは何故なのか。私のような素人にはよく判らないのですが、王朝内の論争で、自身の主張の裏付けとして、「孔子も斯く語っている」との論拠が必要だったようです。しかし、偽書とは言っても、まったくの偽書とも言えません。孔子は論語だけでなく、その他にも多くを語り記しておりますから、その断片を結び付けることも立派な仕事となります。


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