SSブログ

創作短編(35):謀臣本多正信 -3/9 [稲門機械屋倶楽部]

                          2011-12 WME36 梅邑貫

.

 細川忠興が辞した後、徳川家康は智謀の腹心である本多正信を呼び、事の顛末を伝えた。

「正信、時節は少々早いがのう、これ、まさに飛んで火に入る夏の虫よ」

「殿は、よもや石田治部少輔を討つと思し召しではござりませぬな」

「何じゃ、佐吉を討ってはならんのか」と、家康は石田三成をその幼名で呼んで、既に討ったも同然と笑いも浮かんでいたが、謀臣本多正信の一言に意外の感を持った。

「太閤殿下が亡くなられ、その後、家臣をまとめておりましたるは前田権大納言利家殿。その前田殿が閏三月三日、つい四日前にお亡くなりになられました」

「うん。わしも知っておることぞ」

「左様でござりまする。前田殿の重石が外れ、豊臣恩顧の武将がそれぞれに動き始めてござりまする」

「うん。そうよのう。此度の治部少輔殿が襲われたるも、まさにその重石が取れてしもうたから起きたことよ」

「はい。されど未だ日が浅そうございまする」

「正信、誰も聴いてはおらぬ。もそっと判り易く申せ」

「はっ。前田殿がお亡くなりなられて僅かに四日。誰が石田治部少輔の側に立ち、誰が石田治部少輔に反旗を翻すか、未だ判りませぬ故、早まっては大魚を逸しまする」

「おお、そうか。確かに正信が申す通りじゃ」

「ここは暫く、石田治部少輔殿を在るが侭にされるが良かろうと考えまする。左様でございますな、まあ、一年もすれば、旗識は明らかになりましょう」

「そうじゃな」と、家康は大きく頷いた。

「されば、石田三成殿は、今は備前宰相宇喜田殿の屋敷におられまする」

「うん。細川忠興殿が申しておった。聞き耳を立てておったのか」

「とんでもない。それがし、昨夜より街中にて調べおりました」

「さすがは正信じゃ。それで、石田殿を如何すべきかのう」

「居城たる佐和山へ帰らせるがよかろうと存じまする」


nice!(5)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 5

コメント 1

梅邑貫

本田正信は、本田佐渡守正信です。
その人物像は追々描かれますが、徳川家康の家臣であり謀将でもありながら、家康に「佐渡守は吾が家臣にあらずして、親しき友なり」とも言わせています。
by 梅邑貫 (2011-12-08 13:31) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。