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創作短編(34):南高梅の元祖 -8/8 [稲門機械屋倶楽部]

                          2011-11 WME36 梅邑貫

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  附家老として徳川頼宣に付き添って紀州へ入った安藤直次は、大名並みの処遇を受けた所領の田辺城へ入ることが殆どできず、家老の安藤小兵衛に任せ、自らは和歌山城に在って頼宣の補佐に努めた。

 安藤直次と水野重央、二人の附家老は自らの所領の統治を部下に任せて頼宣の育成に努め、徳川頼宣もようやく「紀州の殿様」らしくなった。

「殿、しばし和歌山を留守に致しまするが」

「何処へ参るのだ。長くはならんだろうな」

「はい。紀州を隈なく見て参りまする。紀州は大藩でござりまするが、ただ米を作るだけでは能がありませぬ。何か新しきもの、江戸にも高値にて売れまする物産を探し求めまする」

「わしも考えておったことじゃ。良きものを探してくれんか」

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 斯くして、安藤直次が紀州の各地を歩いて探し出したのが「梅」であり、これに「南高梅(ナンコウバイ、或いは、ナンコウウメ)」と命名して今日に至るも紀州の名産品となった。

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 平成23712日、公正取引委員会は「南高梅」として全国に知られる紀州産高級梅の販売を巡り、和歌山県田辺市のJA紀南と同県みなべ町のJAみなべ、両市の梅干加工業数十社、業界団体である紀州田辺梅干協同組合、紀州みなべ梅干協同組合等に立入検査を行った。

 これは梅生産農家が「梅を買い叩かれて赤字に陥っている」との不満を訴えており、上記の各団体が梅の収穫期である夏が近付くと、南高梅10kg入り一樽を3,000円から7,000円の間で「見通し価格」を平成17年より毎年提示し、この価格で納入することを強要した疑いによる。尚、紀州の南高梅の生産農家の数は4,000から5,000ほどあり、南高梅の生産高は加工業者の農家からの買い付け価格で年百数十億円に達する。

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 四百年前に南高梅の生産を奨励して紀州の名産品に育てた安藤直次は歎いているであろう。                ()


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