創作短編(34):南高梅の元祖 -5/8 [稲門機械屋倶楽部]
2011-11 WME36 梅邑貫
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後世になって徳川御三家と呼ばれるが、将軍家に次ぐ徳川家の重要な地位を占めており、それは尾張、紀州、水戸の徳川家で、その始祖は、尾張徳川家は家康の九男義直、紀州徳川家がこの物語で語られる家康の十男頼宣、水戸徳川家が家康の十一男頼房であった。
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安藤直次は江戸から引き返して駿府城へ入り、頼宣と向かい合った。安藤直次は家康に命じられて頼宣の傳役を務めているから、常に駿府城に在って頼宣の近くに控えている。
秀忠から江戸への呼出状は、たまたま安藤直次が自分の居城である掛川城へ戻っているときに駿府城宛てに来たもので、急使が掛川まで運んで来た。
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「爺、江戸へ参っておったそうだな」
「はい。上様より呼ばれましてございます」
「兄上が爺を呼んだのか。紀州のことであろう」
「はい、頼将様。お察しの通りにございまする」
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かなりややこしいが、徳川頼宣は幼名を長福丸と言い、長ずるに従って頼将(ヨリマサ)、頼信(ヨリノブ)、頼宣(ヨリノブ)と名を替え、この頃は「頼将」を名乗っていた。
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「兄者はわしが嫌いかのう」
「左様なことは毛頭ございませぬ」
「ならば、遠き紀州へわしを追い払うのは何故じゃ」
「上様は、紀州、尾張、水戸、この徳川三家と江戸の幕府を以てして、要衝を固く護るべくお考えでござりまする」
「だが、要衝と申せば、駿府の方が要衝であろう」
「駿府は江戸の幕府と尾張で挟み、東海道は磐石でござりまする」
「では、紀州は何ぞ」
「西国の外様大名が謀反を起し、江戸へ向けて軍勢を起こしたるとき、紀州と尾張で挟み討ちに致しまする。それと、西国より攻め来たる水軍も紀州なればこそ討てまする」
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