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創作短編(30):番外編:江戸城大奥 -6/8 [稲門機械屋倶楽部]

                          2011-10 WME36 梅邑貫

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六 将軍の奥泊り

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 将軍が夜になってから大奥へ入り、翌朝になってから中奥へ戻ることを「奥泊り」と言います。この頁で記すことは小学校や中学校での日本史授業で、絶対に教えてくれないことです。

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 将軍が大奥で「奥泊り」をするのは、御台所や側室と寝所を共にするときで、御台所が相手なら御台所の「御座の間」を訪ね、側室が相手なら、大奥内にある将軍の「小座敷」へ側室を呼びます。

 将軍が御台所と寝所を共にすることは、夫と妻の間のことですから、何の問題もありません。それでも、布団は別々で、将軍の布団は上座に敷かれ、御台所の布団は下座に用意されます。

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 でも、将軍は御台所よりも側室を好んだようで、先に記した大奥の職掌の内、八人ほどがいる御中臈の内から、三名か四名が将軍の側室として選ばれます。

 側室が将軍の大奥内小座敷へ呼ばれると、御伽坊主と別の中臈も現れます。小座敷は十二畳敷きの広さですが、その中央に将軍の布団が敷かれ、右側に側室の布団が敷かれます。二組の布団が敷かれ、将軍と側室がそれぞれの布団に入ると、その周りを屏風で囲います。そして、ここからが私達庶民とは大いに異なるのですが、その屏風の外に二組の布団が敷かれ、先ほどの御伽坊主と別の中臈が布団に入ります。この二人は添い寝の役を果たすのですが、寝てしまってはなりません。屏風に背を向けたまま、ただ耳を働かせて将軍と側室が何を語り合ったかを翌朝に報告する義務がありました。

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 将軍と寝所を共にする側室には厳しい掟がありました。それは、この折を好機として、将軍に強請(ネダ)り事をしてはならないとする掟です。

 珊瑚の笄(カンザシ)が欲しいとか、翡翠の帯留めが欲しいとかのおねだりではなく、自分の父親を士分に取り立ててくれとか、兄を旗本にしてくれとかのおねだりで、場合によっては幕政に大きな影響を及ぼすこともあるので、添い寝役の二人は聞き耳を立てて寝るどころではありませんでした。


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コメント 1

ポルン

コメントありがとうございました。
側室の話面白いですね。
寝室の脇に添い寝役がいるとは・・・

ゴーヤジャムですが、ゴーヤの苦いイメージからは想像がつかないかもしれませんね。
by ポルン (2011-10-24 07:07) 

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