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菜根譚 -6/10 [稲門機械屋倶楽部]

                                           2011-09 WME36 村尾鐵男

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一燈熒然、萬籟無聲。此吾人初入宴寂時也。

暁夢初醒、群動未起。此吾人初出混沌處也。

乗此而一念廻光、烱然返照、始知耳目口鼻皆桎梏、

而情欲嗜好悉機械矣。

一燈(イットウ)熒然(ケイゼン)として、萬籟(バンライ)聲(コエ)なし。此れ吾人(ゴジン)初めて宴寂(エンジャク)に入るの時なり。

暁夢(ギョウム)初めて醒め、群動(グンドウ)未だ起こらず。

此れ吾人(ゴジン)初ねて混沌(コントン)を出ずる處なり。

此れに乗じて一念光を廻らし、烱然(ケイゼン)として返照(ヘンショウ)せば、始めて耳目口鼻、皆桎梏(シッコク)して、情欲嗜好は悉く機械たるを知る。 

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冒頭で、菜根譚の著者である洪自誠は道・老荘・仏教の三教一致を思想の根底としていると記しましたが、上記の一文はかなり宗教色が強く、難しい文です。

 熒然(ケイゼン)とは灯火が消えかかることで、籟(ライ)とは笛のことです。宴寂(エンジャク)とは、私が理解不足で申し訳ないのですが、座禅を組んで独り静かに瞑想に耽ることの仏教用語であると私は教えられました。群動は世間とでも理解して下さい。桎梏の桎(シツ)は「足枷(アシカセ)」で、梏(コク)は「手かせ」です。

 最後に「機械」が現れますが、仕掛けとか仕組みの意味で、私達が遣う言葉の機械ではありません。

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 私はしばしば中国を訪ねておりますが、意外なのは、今の中国では「菜根譚」が殆ど読まれておりません。揚州市で外事部長を務める南京大学国文科卒の某女史も「菜根譚」を読んでおらず、仕事を離れた私との話が味気ないものになりました。察するに、宗教を否定する共産党政権下で育った者には、「菜根譚」の根底にある宗教観念が理解を越えているようです。「菜根譚」を読んでいない現代中国人と読んでいる日本人とでは、図々しさと厚かましさでは中国人の方がはるかに上です。


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