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平時の論理で有事に対処、日本の破綻 -1/3 [明治維新胎動の地、萩]

                                                                                   .by N.Hori

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民主党政権の問題を分かりやすく解説した、中西輝政・京大教授著、WEDGE誌・2011/7 の紹介です。紹介者の責任で、文章の順序や表現などを分かりやすく変えています。

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 市場に基づく民間の経済活動、住む権利や所有権などの私権。いづれも平時でこそ機能し、優先されるものであり、有事においては国民の保護のために国家の主導権が求められる。それが「当たり前の国家」なのである。危機に際しても全く平時の感覚しか持ち合わせていない民主党政権の問題が見えるが、その背景には「非常事態」という法空間を一切捨象した自民党が続けた戦後国家の根本的問題が横たわっている。

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その結果、脅かされるのは、国民の生命だ。フランスの元閣僚で、学者でもあるジャック・アタリは、3月末、大震災、原発事故をめぐる日本政府の対応は、本質的に国民の生命を一顧だにしないリビアのカダフィー政権と同じであり、それゆえ、日本の国家主権を超越して国際社会の直接介入によって収束させることが求められている、とまで論じている。菅政権は、サミットに出向く前から、もはや政府としての存在価値がない、という烙印を押されてしまっていたのである。

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そうして、5月末、仏ドービルで開かれた主要国首脳会議の場で、菅首相は、原発事故に関する情報の公開を繰り返し厳しく求められた。この一連のことを見ても、自己主張も国際貢献もしない日本に対して震災前から国際社会が鬱積させていた不信とフラストレーションが一斉に吐き出されたのである。今後、国際社会はその冷徹な論理に従って、日本が変わらねば、置き去りにしたまま、私たちが考える以上の早いテンポで動いてゆくだろう。

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「戦後国家」の根本的欠陥という問題もさることながら、菅政権が病的なまでに平時の発想しかできない理由の一つは、政権指導者たちの意識構造という問題があると考えられる。菅、枝野、仙谷らには、左翼の反体制運動の経歴がある。ある学者は「唯物史観と非武装平和主義、どちらかの思想に一度でも染まった人間は決して政治家にしてはならない」と喝破していた。唯物史観は、人間の行動はすべて物質的な条件によって決まる、とするために権力闘争においては徹底したマキャヴェリズムに走り、同時に道徳や精神的な価値の軽視に陥りやすく、反戦平和主義は力の否定と反国家的な情緒に繋がるからだという。

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つまり、マルクス・レーニン主義に染まった経験のある政治家は、一方で権力への異常な執着を見せ、他方で権力行使への罪悪感からくる意識的な責任放棄に走るからだ。この説で、グランドデザインを示すことなく、内政で大衆受けだけを狙う無責任と、外交でロシア、中国、北朝鮮などの挑発に対して、国益を損なう対応しかできない菅政権の動きをすべて説明できる。

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この大震災の国家危機の中、平時の権力ゲームの発想だけで国家が動いていることは、何という「日本の悲劇」であろうか。菅政権に色濃い傾向だが、公平に言えば、歴代の自民党政権も内輪の権力闘争に明け暮れていたことは事実である。最大の問題は、平時もあれば、有事もあるのがこの世の掟であるにも拘わらず、あえて「そのとき」の備えを欠いたままにしてきたことだ。


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大嶋邦夫

大変面白い分析。 さすが中西輝政と感心しました。 東京について決断できない日本、ケビン・メア(文春新書)も面白い本です。 更迭された国務省元日本部長ですが、鳩山、小沢を痛烈に批判しています。
by 大嶋邦夫 (2011-08-31 16:43) 

村尾鐵男

東大学派は、山内昌之教授を除いて、政府の御用学者とならんする魂胆が透けて見え、政治評論や政府批判の鋭さがありません。
京大学派は東京から適度な距離があって政治の動きが良く見えるようで、中西輝政教授のような冷静さと鋭さがあります。
by 村尾鐵男 (2011-08-31 22:26) 

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