中国の無人機開発 -1/6 [稲門機械屋倶楽部]
2011-08-27 MWE36 村尾鐵男
.
8月26日朝、ぼくあずさ氏よりメールを頂戴し、読売新聞電子版のアドレスがあり、それを読んで何か書けとの仰せ付けでした。その読売新聞の電子版とは概略下記の内容です
「香港からの報道によると、8月22日、中国の無人偵察機が河北省で墜落した。北京の飛行場を離陸して高度8,000mで飛行していたものである」
.
中国製無人機の初登場
2006年11月、広東省珠海で開催された珠海航空ショーに無人機の模型が展示されました。実は、この模型が米軍のステルス攻撃機F-117型に酷似していたために話題になりました。
次いで、2007年6月、パリ航空ショーで無人機の実機が展示公開されましたが、飛行はしませんでした。
.
1999年3月27日、コソボ紛争に出撃した米空軍のF-117攻撃機がセルビアの首都ベオグラードの近郊で墜落し、この残骸の一部が中国とロシアへ渡ったとの説があります。
F-117型機は米空軍初のステルス機で、当時のロッキード社が開発して僅かに64機が製造されて1981年6月から部隊配備されましたが、2008年4月に全機が退役しました。
.
イラン・イラク戦争(1980年9月より1988年8月まで)ではF-117型機が実戦に投入されて活躍しましたが、イラクの米軍基地で、戻ったF-117型機の機体を洗浄した廃液を瓶に採取して基地外へ持ち出したイラク人を捕らえたところ、中国人に謝礼と交換に渡していたことが発覚しています。中国はステルス塗料の秘密を知りたかったようです。
.
今回の中国製無人機の墜落とは直接の関係はないと思われますが、今年、2011年5月、パキスタンに潜伏していたアルカイーダの首魁ウサマ・ビン・ラディンを捕らえるために飛んだ米軍のステルス・ヘリコプターの一機が故障を起こし、これを爆破して放棄しましたが、この破片や残骸がパキスタン経由で中国の手に渡ったとの疑いが濃厚です。
コメント 0