東京裁判と民間人(非戦闘員)の殺戮 -4/5 [和田の泊りより]
.by 月川善雄
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東京裁判に於いても弁護側が「東条英機の犯罪は広島と長崎に原爆を落とすよりも悪いことなのか」と尋ねたところ検察側は日本語訳を中断させ、公式裁判記録からこの部分を削除するように命じ、真実は闇に葬り去られ、「平和に対する罪」「人道に対する罪」により多くの日本人が処刑された。しかし「平和に対する罪」等と言うものは日本(軍)がポツダム宣言を受諾した時点では存在しておらず、連合国が日本を裁くために後から作った法律で事後立法であり「法の不遡及」と言う近代法の原理に反した所謂「後出しジャンケン」で卑怯な手である。その一方でアメリカは暗号解読により、日本がポツダム宣言を受諾すことを知った後で原爆を投下している。
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これには二つの理由があるとされている。一つは原爆の開発に費やした20億ドルの承認を取り付けるための言い訳で、これを有色人種である日本人で試したと言うことである。
米国側の論理は原爆を投下することにより戦争の終結が早まり両国で更に血を流すのを防いだというものでこれも一理はあるが、既に日本が無条件降伏を決めていたことを知った上で投下する必要があったのかどうかは疑問である。当初はドイツに対して使用すると言う事であったが、完成時にはすでにドイツは降伏しており、そこで日本に向けられたと言うものであるがドイツが降伏する前に完成していたとしても、果たして白人のドイツに使ったかと言う疑問は未だに存在する。
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もう一つはソ連に対する牽制である。1945年2月のヤルタ会談時点ではアメリカはソ連の参戦を必要としていたのだが、7月16日のニューメキシコでの実験に成功したと知るやトルーマンはスターリンに対し威圧的な態度に変わりソ連の領土的野心に警戒を強めたと言われる。スターリンは終戦の口利きを依頼していた日本の要求を無視し、未だ有効期限のあった日ソ不可侵条約を一方的に破棄し8月6日に日本に対し宣戦を布告し進撃を開始した。スターリンは8月15日以降も進撃を続け北海道の北半分を領有するつもりだったらしいが 樺太・千島列島の日本軍の強硬な抵抗に会い手間取っている間に米軍が進出した為に諦めたと言う事実がある。
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御蔭でという言い方は語弊があるかもしれないが、日本の本土がドイツ、朝鮮のように分断されることが無かったのは不幸中の幸いと言えるだろう。
しかしこれも、余り知られてはないが占守島を死守した日本軍のお陰が大きいのであって、今日の日本の平和はこの兵士たちの貴い犠牲の上に成り立っていることを思う時、これらの英霊も祀られている靖国神社を疎かにすべきではない。
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