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創作短編(27): 芋神様 青木昆陽 -3/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                      2011-08 WME36 梅邑貫

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「この青木昆陽、何がお役に立ちましょうや」

「昆陽殿、今直ぐに役立つと申すことではござらぬ。それがしは優れた者を見つけよと御奉行より命ぜられておるでな。ともあれ、御奉行に一度会うては如何でござろう」

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 かくして青木昆陽は八丁堀与力の加藤枝直に連れられて南町奉行所へ出向きました。

 この頃、江戸には二つの町奉行所があり、現在のJR有楽町駅と数寄屋橋交差点の辺りにあった数寄屋橋門内の南町奉行所と、JR東京駅八重洲口の近辺にあった常盤橋門内の北町奉行所でした。

 南北の町奉行所は月番制によって運営されており、非番の奉行所はその一ヶ月間は門を閉めているのですが、業務を休んでいるわけだはなく、当番の月に受け付けた訴訟案件の処理を続けていました。

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 大岡越前守忠相は南町奉行を享保二年(1717)から元文元年(1736年)までの十九年間も務めており、この間に北町奉行は三人が交代しています。青木昆陽が大岡越前守に会った享保十八年(1733年)は、北町奉行は稲生(イノウ)下野守正武で、絵島生島事件や天一坊事件を裁いております。この両事件は後世になって講談等で大岡越前守が裁いたと語られますが、大岡裁きで有名になった大岡忠相の余得でしょう。

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「八丁堀与力の加藤枝直より聞き及んでおるが、そなたが青木昆陽殿か」

「はっ、日本橋にて塾を開き、儒学を教えておりまする青木昆陽にござりまする」

「上様より優れたる者を推挙せよと命ぜらておってな、上様にも青木昆陽殿のことを申し上げるが、何か所望致すことがあらば、遠慮のう申せ」

「はい。ただ今、甘藷の栽培を調べおりまするが、書が少のうて困りおりまする。聞き及びまするところでは、幕府の文庫には甘藷に関わる書が多数蔵されておる由。是非とも閲覧致したくお願い申し上げまする」


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