八田與一と飯田豊二 -1/2 [和田の泊りより]
.by 月川善雄
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八田與一氏は日本ではあまり知られていませんが、台湾それも特に南部では台湾農業の大恩人として尊敬・感謝され、今でも氏の命日にあたる5月8日には、嘉南農田水利会の人々によって墓前で慰霊祭が執り行われています。
(八田夫人も日本が降伏文書に調印した日に八田氏が作り上げたダムに投身してしまいました)
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世界遺産に申請するのは、今の日本人に日本がかって、このような素晴らしいことをやってきたと言うことを知らしめるためには良いことだと思いますが世界遺産となると色々制約も多く日常利用しているものだけに却って不便になることが多いのではないかと思います。
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彼の功績は余りにも偉大で、我々が云々するべきものでもないと思いますので李登輝氏の慶応大学での”幻の講演”の(また外務省の悪口になりますが外務省の馬鹿どもが中国の顔色ばかり窺い、個人の資格で来日しようとした同氏の入国を拒否したため)一部を含む八田氏に関するインターネットの記事を添付します。
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日本でも遺徳を偲ぶ慰霊祭等と言うものは余り行われませんが、思い浮かぶのは4月中旬に茅ケ崎の浄見寺で行われる大岡越前守忠相の慰霊祭で江戸の消防活動の基礎を作ったことを称えて今でも江戸町火消しが参加する事で有名です。
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日本は台湾を含む外地で農業・灌漑、鉄道敷設といったインフラ整備、それに教育、医療にも力を注いできました。
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八田與一と飯田豊二 –2/2
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2011-07-28-4
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