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創作短編(25):雪華図説 –6/7 [稲門機械屋倶楽部]

                                        2011-07 WME36 梅邑貫

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「はい。互いに切磋琢磨し合うておりまする善き強敵にござりまする」

「渡辺崋山殿はよう知っておるが、他は誰じゃ」

「三河國田原藩の家老を務めまする渡辺崋山殿は、それがしより八歳は若こうございまするが、蘭学の善き師にございます。もう一人は佐賀藩にて家老を務めまする村田若狭守政矩にございまする」

「おお、あの村田政矩殿か。噂は聞き及ぶが、キリシタン書の大家とのこと。しかしながら、十郎兵衛の蘭学仲間は善き者が多いのう。それがしも、十郎兵衛を通じてよう援けてもろうておる」

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 鷹見泉石を囲む仲間と言うのは儒学者で昌平坂学問所の塾長である佐藤一斉、医師の桂川甫賢、歌人の本間游清、等々でありますが、これに土井大炊頭の臣下で祐筆を務める小松良翰が、土井利位が顕微鏡で覗いた雪の結晶を巧みに描き取って、雪華圖説の刊行に力を貸しました。

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 少々話題が逸れますが、古河藩の家老鷹見泉石の禄高は二百八十石で、後に三百三十石に加増されております。古河藩での家老の役高、即ち、その役に就いている間の俸給は五百石なので、不足する石高は家老に就いている間は支給されます。

 足高と言う言葉もあります。徳川三代将軍吉宗が採り入れた制度で、たとえば、町奉行の役高は三千石ですが、これに禄高千石の旗本を就任させようとすると、従来は禄高不足で就任させることができなかったのですが、幕府が不足分の二千石を支給する事で埋め合わせをしました。この足高制は、有能でありながら禄高が低いために要職に就けなかった者に昇進の道を開きました。

 創作短編(24)の登場した會津藩の家老で幕末に活躍した西郷頼母の禄高は千七百石で、幕府直参の旗本並みの禄高で異例の高禄でありました。

 しかし、さらなる異例があります。この物語の二百八十年ほど前の會津藩藩上杉景勝の所領は百二十万石ですが、家老の直江兼継の禄高は三十万石でした。


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