還って来た日々 -15/25 [北陸短信]
刀根 日佐志
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(それにしても逃げ足の速い奴だ、ミチオはもういない)と思ったが、その後、三郎は、どこからどのように、逃げたか覚えていない。気がついたら梨畑を抜け、脇の道を走っていた。夢中で有りっ丈の力を出して走った。後ろから誰かが、追っかけてくるのではないかと振り向いたが、暗闇の中で全く分からない。
恐怖心だけが昂ぶり、震えが治まらなかった。来たときの田圃道へ差し掛かると、木の影にミチオがいる。トシオも、ナミも逃げてきた。皆のハアハアという息遣いが闇の中で、増幅されたように大きく聞こえた。
「おーい、ボウがいないぞ!」
トシオが叫んだ。暗闇でじっと目を凝らすが、ボウがいない。しばらく待ったが、来ない。
「探しに行かんなん。梨を置いていこか」
恐くて、行きたくない気持ちが強かったが、勇気を出して三郎が言う。
皆は、ポケットから取りだした梨を草むらに隠すと、梨畑まで引き返すことにする。ゆっくりと歩いた。梨畑のおやじに見付からないように、梨畑の近くで立ち止まり、辺りを窺った。今迄、気が付かなかったが虫の鳴き声が、やけにうるさく耳をつく。もう親爺はいない。
耳を澄ますと、近くからシクシク啜り泣きが、聞こえてきた。
「あそこの電柱に、ボウがいるちゃ」
ミチオが小声で叫んだ。
「電柱に縛られておるちゃ」
ナミとトシオが、駆け寄った。
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目が暗闇に慣れてくると、確かにボウの姿が見えてきた。先程の梨畑の角にあった電柱に、荒縄でぐるぐる巻きに縛られていたので、皆で縄を解いた。思いのほか、かたく結び付けられている。ボウは自分で解くことはできずに、泣きじゃくっていた。
「頑張れ。ボウ、泣いたら駄目やちゃ」
皆で励ましたが、肩をぐったりと落として泣き止まない。三郎は何と慰めたらよいのか分からないまま、ボウの体を支えた。
「ボウ、わしの肩に手を乗せろ」
三郎はボウと肩を組むと、そこにナミも加わり、三人で歩いた。ボウの体から震えが伝わってくる。ぶるぶると小刻みな身震いが、ボウの受けた恐怖の大きさを表しているようで、三郎は申し訳ない気持ちになった。
「ボウ、頑張れよ」
ナミも励ましていたが、恐怖心が、容易に払拭されないようだ。段々と皆から会話が消えていった。それからは、黙りこくって、誰も一言も喋らない。先ほど隠してきた梨も忘れて、そのまま帰った。三郎は、今も親爺が追っかけて来るのではないかと思い、時々振り返ってみたが、もう捕まろうが、どうでも良いと思うようになった。とにかく家の方角へ向かって帰りたかった……。
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