還って来た日々 -10/25 [北陸短信]
刀根 日佐志
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焼けたコークスの色と、同じ位に赤熱した鉄片を、お父さんは、長いヤットコの先端で摘んだ。そして横にある機械ハンマーの上に載せる。ぺタルを踏むと重そうなハンマーが、ガタンガタンと上から下りてきて、焼けた鉄片を叩く。縦、横、裏側と方向を変えては叩く。
機械ハンマーの前で、座布団を載せた木の椅子に坐って、父さんは前を向いて黙々と仕事をしている。木の椅子は真っ黒に汚れており、座布団は黒光りしていた。何度も鉄片を焼いては叩き、それを繰り返して形ができると、足元にあるバケツの水に浸ける。ジュウと音がして沸騰した蒸気の泡があがり、同時に水煙があがる。あれは植木職人が使う木鋏になると、ナミは話していた。
乾いた音だけが、大きく反響している二十坪くらいの薄暗い工場は、天井から床まで黒く汚れて、潤いのあるものは何もない。華になるものがない。余りにも無味乾燥な雰囲気が漂う殺風景な空間である。でも、三郎は鉄が焼かれ打たれて、冷却され研がれて、鋏になるのを幾ら見ていても飽きなかった。
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目を凝らすと、コークスの燃え上がる炎は、鉄塊に底知れぬ神通力を与えている。すると、その真っ赤な鉄塊は機械ハンマーで鍛えられて、限りない可能性を発現する塊に変貌していく。最後に作る者の全ての技や魂が付与された刃物が、でき上がる。
小柄で撫肩に見える寡黙な父さんの鋭い目や、手の動きには、刃物に命を吹き込む方程式が刻まれている。そう思いながら見ていると三郎の目が、もう一度、父さんの一挙手一投足に、釘付けになった。気持もわくわくさせてくれた。
三郎が動かずに、じっと見ていたのでトシオとナミは痺れを切らして、工場を抜けて住宅の方に入って行った。遅れて三郎も参加した。三人で杉鉄砲作りに取り掛かった。
「ヤットコ」とは何とも懐かしい言葉です。
ハンンマー・プレスも昔は「バタンコ」と俗称しました。
昭和36年、航空会社へ入社して直ぐに、膨大な種類の工具についてその正式名称を叩き込まれました。工具名がいい加減だと、整備作業の誤りに結びつくからです。
さて、「還って来た日々」のこの後は如何に発展するか、興味津々です。
by 村尾鐵男 (2011-07-21 07:38)
「杉鉄砲」とは如何なるものか興味が湧きます。
終戦直後まで農鍛冶がありました。
by ぼくあずさ (2011-07-21 08:23)