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創作短編(24):會津戦争 -4/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                        2011-07 WME36 梅邑貫

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「福井も會津も、徳川幕府の親藩にして御家門。我が越前は家康公の御次男結城秀康殿の家系、容保殿の會津は二代将軍秀忠公の庶子保科正之殿の家系、ともに葵の御紋を頂戴し、家康公の元の名である松平姓を名乗るを許されておりますぞ」

 言われるまでもなく、松平容保も夙に知っていることであるが、春嶽は脇に置いた巻物を手に取ると、容保の目前で開いて扇の先で指差した。

「この書は、容保殿、よう存じておられよう。會津の藩祖たる保科正之公が後々の藩主のために遺されたものでござる。曰く、會津藩たるは徳川将軍家を守護すべき存在なりと」

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「頼母、京へ参ったそうだな。具(ツブサ)に申せ」

 松平容保は京都から戻った西郷頼母を呼んで問うたが、表情には穏やかさがなく険しかった。

「はっ。殿が京都守護職をお受けになられても、御辞退申されても、朝廷より悪し様にされぬよう、重々心配りをして参りました」

「京都守護職であるが、既に受けると決めたぞ」

「左様でございましたか。畏れ多きことでござりまするが、帝の孝明様も殿が京都守護職として、過激なる攘夷の者達を追い払われんことをお望みでございます」

「うん」

「されど、殿、會津を磐石に致さねばなりませぬ。殿が京に留まれまする間、會津が攘夷の者に襲われんとも限りませぬ」

「うん」

「京都守護職は幕府の要職にござりまする。御三家、御三卿、御家門は幕府の要職には就かぬが永き仕来りでござりましたが、此度、初めて御家門より要職に就きまする」

「うん」

「されど、朝廷には恭順の意を明らかにされますこと、肝要と考えまする」

「何故ぞ」

「朝廷より怨まれて得になるもの、何もござりませぬ」


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