ビルマ行 -2/9 [和田の泊りより]
By 月川善雄
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バンコクで一泊、免税店で買い込んだジョニ黒を「大黒」だか「菊水」というタイ米の匂いのする日本料理店に持ち込んで晩飯を喰った。今ではどうだか知らないが当時のタイではジョニ黒が珍重され、ジョニ黒が無いと宴会が始まらないのだと言う話を聞いた。
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そして翌日またドンムアン空港からラングーン(現ヤンゴン)目指してUBA (Union of Burma Airways ビルマ航空)のB727に乗った。この機体はどこかからリースしたのだと思うが、香港まで足を伸ばして整備などはそこでやっていたようで、真偽の程は判らないがパイロットは空軍上がりの当時のネ・ウィン首相の息子がやっているとの話だった。(ビルマではある程度の年齢・地位になると敬称として頭に「ウ」が付く。例:ウ・タント国連事務総長、又軍人には「ネ」が付けられる。例:オンサン・スーチー女子の父君 ボ・ネ・オンサン将軍等)。
操縦は先ずまずだったと思う。機内ではロンジー(巻スカート状のビルマ民族衣装)姿のスチュワーデスが臍を出してバナナと紙箱入りのサンドイッチを機内食として配っていたのがご愛嬌だった。そして国境の山岳地帯を越え二時間足らずでラングーンのミンガラトン空港に着いた。
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この空港はその昔 加藤隼戦闘隊が基地として使っていた空港で、私が出掛けた当時は国際空港として一応ビルマの玄関口になっていたのだが、お世辞にも綺麗な空港とは言えなかった。空港ビルは薄汚れた建物でImmigrationを通り税関に来てカウンターの上で荷物を開けさせられると係官が中身を見て土産用に持っていった扇子に目を付けこれをボスにプレゼントしろと言った。勿論日本を出る前にこういうこともあるからと言われておりその積りもあったのでOK すると通貨使用の記録用紙を渡され、さらに藁半紙にガリ版刷りで作った通関許可証を取り出しそれにそばに置いてあるアルミ鍋の中のメリケン粉で作った糊を刷毛で塗りつけスーツケースにベタッと貼り付けた。汚いなと思ったが取敢えず通関を無事に終わったのでホッとして既に通関を済ませた皆に追い付こうと慌てて走ったらパスポートを置き忘れたのに気がついてまた走って取りに戻った。(この頃はPanAmの世界一周便もまだ飛んでおりラングーン着は真夜中だった。降りる客も一人か二人で税関のタカリの格好の標的になっていたと聞いた。
凄い処ですね。
by ぼくあずさ (2011-07-14 09:14)
私が行った時は、ラングーンはヤンゴンと呼ばれていました。
by 袋田の住職 (2011-07-14 09:39)
BUAのB727の定期点検星美は羽田でJALが請け負っていました。
点検整備が終わって大量の予備部品を機内へ積んでおくと、翌朝早く、彼が東京滞在中に買い込んだ冷蔵庫やTVや洗濯機に積み替えられて、部品は船で送ってくれと言い残して離陸しました。
でも憎めない人達でした。
by 村尾鐵男 (2011-07-14 11:25)