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文章軌範 -10/10 [稲門機械屋倶楽部]

                                     2011-06 WME36 村尾鐵男

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岳陽樓記 苑仲淹

不以物喜、不以己悲。

居廟堂之高、則憂其民、處江湖之遠、則憂其君。是進亦憂、退亦憂。然則何時而樂耶。

其必曰先天下之憂而憂、後天下之樂而樂歟。

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物を以て喜ばず、己(オノレ)を以て悲しまず。

廟堂(ビョウドウ)の高きに居りては、即ち其の民を憂(ウレ)い、江湖(コウコ)の遠きに處(オ)りては、即ち其の君を憂う。

是れ進むも亦(マ)た憂い、退(シリゾ)くも亦憂う。

然らば即ち何(イズ)れの時にして楽しまんや。

其れ、必ず天下の憂いに先だちて憂い、天下の楽しみに後(オク)れて楽しまんと日(イ)わんか。

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 范仲淹(ハン・チュウエン:989-1052)は范文成公とも呼ばれますが、宋の呉県、今の江蘇省蘇州の出身で、26歳で進士に合格し、北宋王朝(960-1127)の仁宗に仕えますが、宰相を非難して左遷されています。

 范仲淹の「岳陽樓記」はもっと長いのですが、先に掲げた諸葛亮孔明の「出師表」の全文を記して疲れましたので、一部だけを抜書きしました。

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 有名な言葉が最下段の「先憂後楽」で、後楽園の語源でもあります。余談ですが、小石川後楽園は、水戸徳川家の初代頼房によって寛永六年(1629年)から江戸の上屋敷内に庭園の築造が始まり、二代藩主水戸光圀によって完成します。岡山後楽園は岡山藩二代藩主池田綱政が貞享四年(1687年)に築造を始めておりますが、初めは「御後園」と呼び、明治四年(1871年)に後楽園を改名されました。双方共にその名の由来は范仲淹の「先憂後楽」です。

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 岳陽樓は、今の湖南省岳陽市の北西にある岳陽城の城門の上に建つ三層の楼閣のことです。詩聖杜甫も「登岳陽城」を詠っています。


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