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創作短編(19):県犬養三千代 -2/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                        2011-05 WME36 梅邑貫

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  持統天皇は三千代に命婦として側に仕え、珂瑠皇子の乳母としての職責を続けるよう命じた

 尚、珂瑠皇子は輕皇子とも記されるが、第四十一代持統天皇の跡を継いで第四十二代文武天皇となる皇子であった。

 苦渋の選択として、持統天皇は県犬養三千代に命婦として宮中に留まることを命じ、その結果として三千代は美努王との夫婦の関係を解くことになった。

 三千代にとって、夫の美努王と別れることはまさに晴天の霹靂であったが、持統天皇からの直々の命とあっては従う以外に選択肢はない。しかし、持統天皇にとっても厳しい決断を強いられたことであり、命婦である三千代の一生を左右することであることは重々承知していることであった。

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「三千代」

「はい」

「つかぬことを訊ぬるが、よいか」

「持統様らしからぬお言葉でどざいます。何なりとどうぞ」

「不比等を知っておるな」

「はい、勿論、よう存じ上げております」

「そうか。では、不比等(フヒト)を如何思うておるのじゃ」

「御立派な方でございます」

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  藤原不比等については三千代もよく知っている。持統天皇の下で共に宮中に勤めており、ときに顔を合わせることもあれば、立ち話くらいの機会は度々ある

 さらに、不比等については巷間囁かれている噂のこともあって、三千代は口には出せぬ関心を抱き続けている。それは、持統天皇の父帝である天智天皇が既に身籠っていた女御を不比等の父である藤原鎌足に下げ与えた折に申し渡した言葉であった。

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「生まれた子が男児なれば鎌足の子とせよ。女児なれば朕が引き取る」


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hanamura

大好きな「妹背山婦女庭訓」、その後…たのしみです。
by hanamura (2011-05-29 10:32) 

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