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首相の能力 [稲門機械屋倶楽部]

                          201-05 MWE36 村尾鐵男

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 前回、「首相の資質」について記しましたが、物足りないと思われた方も多かろうと察します。何故なら、私が資質と能力を分けて、能力については論じていなかったからです。今回は「首相の能力」について記します。首相の能力は、突き詰めれば次の二つでしょう。即ち、自らの理想を実現するために「組織と人を糾合できること」と「手続を効果的に踏むこと」です。

 現在の民主党は残念ながら反菅勢力がかなりの力を維持しており、元々が右から左までの寄合所帯ですから、組織と人を糾合できるには程遠い状況にあります。しかも、民主党議員には人生経験未熟の者が多く、国政を担わせるには国民の大半が不安を覚えます。さらに、政治主導の看板の下で官僚を排除したために、首相は自ら孤軍奮闘を余儀なくされてしまい、手続を意識的に省略しています。

 手続は民主主義の根幹です。独裁を防ぐために、民主主義の下では国会での議論に始まって、国民の過半の賛同を得るための手続を欠かすことができません。

 ところが、菅首相にはまことに奇妙な思想に犯されたと察せられる言動があります。それは、衆議院選挙で国民の信任を得れば、それからの四年間は独裁を認められたとの考えです。これは菅首相が傾倒している法政大学教授松下圭一の理論「国会内閣制の基礎理論」に拠るもので、一定期間の独裁が認められると菅首相本人が国会で公言しています。

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 今、東日本大震災への対応で、首相の陣頭指揮が場当たりであるとか一時の思いつきであると批判され、浜岡原発の稼動停止要請も唐突に過ぎると非難されています。しかし、この一連の行動は場当たりでも思いつきでも唐突でもありません。菅首相は、自分には独裁が認められたとする重大な誤認の下で、民主主義の根底を成す手続を踏まずに、加えて組織と人の糾合が出来ぬままに、次々と命令、指示、要請を発しているに過ぎません。そして、「市民」は支持してくれていると思い込み、「国民」の存在を敢えて忘れていると察せられます。民主主義体制化の日本でこのような首相が選ばれてしまったことは、日本の民主主義の何処かにまだ欠陥が残っています。


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ぼくあずさ

政治家になるべきでない人間が、ひょんなことから首相になったのが、日本の悲劇の始まり。解散総選挙を嫌う民主議員たちの数にに守られた独裁者。在日から献金を受けていた政治犯罪でひきずり降ろして欲しい。
by ぼくあずさ (2011-05-13 19:03) 

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