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創作短編(17) 大久保利通暗殺と大隈重信 -2/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                            2011-04 MWE36 梅邑貫

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  斬奸状とは、政府要人を暗殺するための趣意書であり、自らの行動を正当化するための理屈付けの書でもあって、島田一郎が同志に見せた斬奸状には要人暗殺の理由として次の五罪が記されていました。

  公議を杜絶し、民権を抑圧し、以て政事を私す。

法令漫設し、請託公行を恣(ホシイママ)に威福を求めんとす。

不急の土木を興し、無用の修飾を為し、以て国財を徒費す。

慷慨忠節の士を疎斥し、憂国敵愾の徒を嫌疑し、以て内乱を醸成す。

外国交際の道を誤り、以て国権を失墜す。

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この五つの罪は現代の政権にも通じる鋭いものです。明治天皇は明治十四年(1881年)十月十二日に「国会開設の詔」を発して、明治二十三年(1890年)を期して国会を開くと宣言し、同年十一月二十九日に第一回国会が開かれました。しかし、島田一郎が斬奸状の最初に挙げた「公議」とは、おそらく集議院であろうと思われます。明治二年(1869年)三月に各藩の藩主による国政議論の場として公議所が置かれ、翌年五月には集議院と名を替えますが、明治二十二年(1889年)二月十一日に大日本国憲法が制定されて内閣制度が発足するまでは、内務卿は事実上の首相であり、その地位にあった大久保利通が集議院を閉じたままにしていたと推察されます。

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「斬奸状第一項、公議を途絶せしは大久保内務卿。斬るのか」と誰かの独り言のような問いがあった。

「左様。斬らんで如何にするのだ」と島田一郎は低いが凄みのある声で答えた。

「いや、斬るなとは申しておらん。罪状五項、総て尤もである。俺も斬る」

「わしも大久保を斬る」と、島田一郎の背後から声を上げたのは、島根県士族の浅井壽篤(ジュトク)だった。順に廻っている斬奸状は浅井の手にあり、途中までは読んだようだ。


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