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創作短編(16):水戸黄門と生類憐れみの令 -7/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                                           2011-03 WME36 梅邑貫

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  元禄三年(1690年)、水戸光圀は隠居し、水戸藩主としての家督を兄である頼重の子で、光圀の養子となっていた綱條(ツナエダ)に譲りました。光圀は自分が三男でありながら、兄を差し置いて水戸徳川家を継いだことを生涯気にしていたようで、信奉する儒学に於ける長幼の序を元に戻したと伝えられます

 隠居に際し、光圀は常陸太田に質素な西山荘を建て、ここで「大日本史」の編纂に余生を注ぎました。

 その西山荘の近くに久昌寺があって、その住職日乗上人が光圀と親しくなってしばしば訪ねておりまが、その日乘上人が西山荘で光圀から馳走になったラーメンが大変美味かったようで、次のように書き遺しています。

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「うんどん(饂飩:ウドン)のごとくにて汁ヲ、いろいろの子(具)ヲ入(イレ)テかけたる物也」

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 明国より帰化した儒学者朱舜水は「朱文恭遺事」(シュブンキョウイジ)で水戸光圀との交友を著していますが、その一節に、光圀に藕粉(グウフン)を度々進呈したと書いています。

「藕」は漢和辞典では「蓮の根」と記されており、蓮の根とは私達が食べる蓮のことであります。その粉末である蓮の澱粉を蕎麦のつなぎに応用しています。又、蕎麦を晒す鹹水(カンスイ)には椿の枝を燃やした灰を水に溶いて灰汁(アク)として応用したとも記されています。

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 水戸光圀は数々の食品を開発しており、開発と言うのが大袈裟であれば、考案したと言ってもよいのですが、その中に「納豆」があります。

光圀は「久呂豆(クロマメ)納豆」と名付けておりますが、黒大豆を原料として納豆を作り、これに調味料として塩、胡椒、山椒の粉末、麦焦がしを加えており、関東に住む私達がよく知る「水戸納豆」の元祖は水戸光圀によって開発されました。

   
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コメント 4

ぼくあずさ

村尾さん
つなぎに蓮根の粉を入れるのは初めて聞きました。
常陸太田市の佐竹寺参拝後、大子町の袋田の滝へ向かう途中の
街道端の蕎麦やに立ち寄りました。美味しかったことを覚えています。
by ぼくあずさ (2011-04-25 16:58) 

hanamura

納豆は素晴らしい食品ですねぇ!
by hanamura (2011-04-25 19:03) 

シラネアオイ

こんばんは!仰せの通り北国の春はほぼ一カ月で春の花達が一斉に開きます。これからサクラやツツジなどが見事な競演を見せてくれます。
by シラネアオイ (2011-04-25 19:52) 

梅邑貫

皆さんの御愛読に感謝しております。
yu-papa さん
rtfk さん
海を渡る さん
アルマ さん
hanamura さん
シラネアオイ さん
こさびー さん
Live さん
xml_xsl さん
夏炉冬扇 さん

Niceとコメントを有難うございます。「水戸黄門」も残すところ一回です。最後までお読み下さい。
by 梅邑貫 (2011-04-26 07:44) 

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