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創作短編(16):水戸黄門と生類憐れみの令 -4/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                                           2011-03 WME36 梅邑貫

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徳川幕府五代将軍綱吉は三代将軍家光の四男でありますが、四代将軍となった兄の家綱が若くして逝き、世子がいなかったので弟の綱吉が将軍職を継ぎました。

一方、光圀は徳川家康の十一男頼房を父とするので、家康は祖父であり、二代将軍秀忠は叔父、三代将軍家光は従兄弟であります。

年齢も大きく離れています。生類憐れみの令が発せられた貞享四年、光圀は六十歳でありましたが、将軍綱吉は四十一歳であり、当時の年齢感覚で言えば、父と子の年齢差であります。

さらに、従兄弟である三代将軍家光は光圀よりも二十四歳も年上であり、これも父と子の年齢差でありました。水戸光圀が光圀と改めたのは五十歳の頃であり、その前は光國と称し、その「光」は三代将軍家光の「光」を戴いたものでした。

三代将軍家光が没したのは慶安四年(1661年)四月ですが、その直前に光圀は家光に呼ばれ、跡を継ぐ家綱を補佐するよう頼まれております。家綱が四代将軍に就いたのは僅かに十歳のときであり、片や光圀は二十四歳でありますから、父親家光の心中はよく判ります。しかし、その弟である綱吉には如何に応ずるべきか。

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 尚、余談ですが、光圀の「圀」は則天文字と呼ばれています。唐の王朝を前後に二分した女帝武則天(623-705)が考案した文字で、二十か三十の少ない文字数で、今日も遣われる文字は殆ど残っていません。

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「大能のことは案ずるでない」と、暫しして光圀は目前で牛乳酒をちびりちびりと味わっている安積澹泊に言った。

「しかしながら、殿。大能では牛、豚、鶏を飼い育て、それも僅かな数ではございませぬ」

「そうよ。何せ食用に育てておるのじゃ。僅かな数では食用にはならんぞ」

「はい。左様でございますが、豚肉で作る火腿(ホータイ:ハムのこと)は如何にも美味にございます」


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馬爺

校門様もこうして史実を紐解いて見ると見方も変わりますね。
歴史も調べると面白いことが分かって楽しいですね。
by 馬爺 (2011-04-24 11:33) 

hanamura

織田信長を超えて、水戸光圀の方が開明的だと!もし?将軍なら…
そういう歴史 if 好きです!歴史妄想こそ我が人生!
by hanamura (2011-04-24 12:53) 

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