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創作短編(15):火附盗賊改 -1/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                          2011-03 WME36 梅邑貫

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時    :天明年間初期より寛政年間初期(1787-1795年)

場所  :江戸府中

登場人物:長谷川平蔵他

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 火附盗賊改(ヒツケトウゾクアラタメ)は、略して火盗改(カトウアラタメ)とも呼ばれ、池波正太郎の時代劇小説「鬼平犯科帳」とそのテレビ・ドラマでよく知られるようになった。

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 「鬼平犯科帳」の主人公である旗本の長谷川平蔵は本名を長谷川宣以(ノブタメ)と言い、平蔵の名は、長谷川家の当主が代々名乗る名であった。

長谷川平蔵は、五百石の旗本長谷川宣雄の嫡男として延享二年(1745年)に生まれ、寛政七年(1795年)に満50歳で没しており、火附盗賊改の頭、即ち、指揮官である火附盗賊改役を勤めたのは天明七年(1787年)、四十二歳のときから死の三ヶ月前の寛政七年(1795年)二月までの八年間である。

 この時代は十代将軍徳川家治から十一代将軍徳川家斉の頃であり、又、十代将軍家治が没して老中田沼意次(在位:1772-1786)も失脚し、跡を継いだ家斉が未だ幼少でもあったことから、白河藩主で八代将軍吉宗の孫である松平定信が天明七年、即ち、長谷川平蔵が火附盗賊改役に就任した同じ年に老中首座に就いている。

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火附盗賊改が創設されたのは長谷川平蔵の時代を遡ること百余年も前の寛文五年(1665年)、四代将軍徳川家綱の治世下であり、このときは盗賊改だけが組織され、その十八年後の天和三年(1683年)に火附改が設けられている。

その後暫くの間は盗賊改と火附改は複雑な経過を辿る。元禄十三年(1699年)に双方が一度は廃止されるが、元禄十五年(1702年)に盗賊改が復活し、同時に博打改の職務が追加された。翌年の元禄十六年(1705年)には火附改が復活し、このときに盗賊改と火附改が統合されて火附盗賊改となった。


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コメント 1

夏炉冬扇

今晩は。
長谷川平蔵いいですね。再放送も時折見てます。
by 夏炉冬扇 (2011-04-05 21:16) 

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