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創作短編(10): 町火消「いろは四十八組」 -3/7 [稲門機械屋倶楽部]

                             2011-01-30 WME36 梅邑 貫

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「御奉行様、実は、手前どもが住みおります神田界隈、町々が小さく、その上、棟梁の嘉平さんが住みおります竪大工町やその隣りの横大工町では、昼間は男共が普請場へ出ておりまして女子供だけしかおりません」

大岡越前守忠相は庄平衛の言葉を遮った。「そうか。火事の度に一つの町より三十人を出すは、これ容易ならざることと申すのだな」

「はっ。左様にござりまする」

「うん、さもあろう。江戸の町方は四十万。八百八町に住むとして、一つの町に凡そ五百。夫婦に老いたる父母、子供四人として、火事場へ駆けられる男は一つの町に六十人ほど。そこから半分の三十人を集めるは、これは酷であるのう」、

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 嘉平、庄平衛、佐吉の三人は平伏した。新しく任ぜられた南町奉行は切れ者だと噂されていたが、目の当たりに対座して、庄平衛の願い事を先廻りして完全に理解してくれた。

 佐吉が膝半分を前に出て、「さらに一つ、お願い致したきことが」と切り出した。

「遠慮は委細不要ぞ。何なりと申されよ」

「はっ、はい。実は、火事場へ百八十人も馳せ参じますると、少々多過ぎまして、中には名も知らぬ者もおりまして」

「そうであるのう。火事場は最初は小さき一軒の家、路地も狭い。狭き神田界隈なれば、そこへ百八十人が押し掛けては、これは最早統率は効かぬ。そうであろう」

「はっ、はい。御奉行様、まさに図星で」

「半分の十五人で如何じゃ。一つの町から十五人。六町で九十人ではどうじゃ」

「それなら、人も集め易く、火事場での動きも無駄がございませぬ」

「相判り申した。よう来てくれたのう、嘉平。ただな、その方達も存知おろうが、それがしの一存では参らぬ。書状を整え、御老中に申し出て裁可をいただかねばならんのだ。でもな嘉平、これからも遠慮のう来てくれ。与力にはそちの名をよう言い付けておくぞ」


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punchiti

御訪問 & niceありがとうございます。ブログの共同管理ができることは知っていましたが初めて実物を見ました。
by punchiti (2011-02-03 08:03) 

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