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寒山寺の梵鐘 -1/4 [稲門機械屋倶楽部]

                                2010-12-23 WME36 村尾鐵男

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夜雨題寒山寺寄西樵禮吉 王士禛

(夜雨、寒山寺に題し、西樵、禮吉に寄す。王士禛)

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日暮東塘正落潮 孤篷泊處雨瀟瀟

疏鐘夜火寒山寺 記過呉楓第幾橋

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〔日暮れて東塘、正に落潮、孤篷泊する處 雨瀟瀟たり。

疏鐘 夜火 寒山寺、呉楓より第幾橋を過ぎしかを記す〕

〈日が暮れて東の堤が引き潮になり、舟一隻を泊めた場所に

激しい雨が降る。寒山寺の疎らな夜の鐘に漁り火が見え、

呉の楓橋を過ぎて幾つかの橋を過ぎたと記憶している〉

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王士禛(オウ・シシン:1634-1711)は清朝前期の詩人で、雨の夜の寒山寺を詠い、長兄の西樵と次兄の禮吉に贈ったのが上記の詩で、この詩は二部から成り、次の詩へ続きます。

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其之二

楓葉蕭條水驛空 離居千里恨難同

十年舊約江南夢 獨聽寒山半夜鐘

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  寒山寺は中国江蘇省の蘇州市郊外に現存し、毎年の大晦日の夜、NHKの恒例番組「往く年、来る年」で各地の除夜の鐘が放送されますが、遠く寒山寺の鐘も聞かせてくれます

 寒山寺は、隨朝が建国される前の六世紀初め、南北朝時代の梁の地に「沙利普院塔院」として建立され、唐朝の初め、貞観年間(627-649)、その境内に寒山と称する粋人が庵を編んで住んだことから「寒山寺」と呼ばれるようになりました。

  実は、そろそろ除夜の鐘の時期となりますので、この寒山寺のことを「ぼくあずさは地球人」に書こうと思い立って上記の王士禛の詩を引用しましたが、我が儘と生意気で申し訳ありませんが、この詩では気分が乗りません。別の詩に替えさせていただきますが、王士禛の詩は消さずにそのまま残します


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