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創作短編(4): 秘密情報の扱い、実に難しきかな -3/4 [稲門機械屋倶楽部]

                                      2010-12-15 WME36 梅邑貫

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   堀田正篤が読んだ格段風説書の蘭語版には、クルティウスによる幕府への提言も記されており、それは江戸、京、堺、大阪、長崎の五ヶ所に限って外国との貿易を許し、且つ、この五ヶ所には外国の領事を置かせるとし、友好通商条約の草案までが付されていた。

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堀田正篤は阿部正弘の柔和な容貌を見ながら思った。この男はまだ若いが、老中首座の役目を十分に果たしている。しかし、善く言えば、何事にも波風を立てないように心掛け、悪く言えば、八方美人に過ぎるようだ。堀田正篤自身は蘭癖の開国派であるから、阿部正弘の後押しはしても、足を引っ張る理由はない。だが、この何事にも事を荒立てまいとして、阿蘭陀風説書や格段風説書を独り胸中に隠し、溜間詰めの大名にも報せない態度は、何時の日かさらなる大事に発展させてしまう危険がある。

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「阿部殿、あれは百七十年ほど前の延宝年間(1673-1680)のことでござった」

阿部正弘は困惑を隠せなかった。百七十年も前のことで、堀田正篤は何を言いたいのか。

「我が先祖である堀田備中守正俊は延宝七年に老中になり、その翌年、四代将軍家綱様がお亡くなりなられた。あのときの老中首座、いや、大老でござったかな。ともあれ酒井雅楽頭忠清殿が幕閣を欲しい侭にしおった。阿部殿も存知おりましょうな」

「いや、お恥ずかしきことながら、ようは存知おりませぬ」

「家綱殿の跡を如何致すか。即ち、五代将軍を誰にするか。酒井雅楽頭はお独りで突っ走られて、何と、あろうことか京より有栖川宮を迎えんとされたのじゃ。周りの者は薄々気着いておったが、酒井雅楽頭の権勢を恐れて、誰も何も言えん。秘密にするなら最後まで秘密にせねばならぬ。薄々と言えども知りおる者がおっては、最早秘密ではなく、茶番に過ぎぬ」

「確かに」

「そこで、唯一人、声高く異を唱えた者がおった。それが我が堀田備中守正俊でござった」

「堀田殿、それがし、ようやく思い出してござる。延宝八年(1680年)八月、かくして家綱様の弟君であられた綱吉様が五代将軍に就かれ、我等が徳川幕府は源氏三代の二の舞をせずに出来申した。そうでござりましたな」

「左様。あの折に京のお公家を迎えておったら、今の我等はおらぬ」

「確か、その直ぐ後に綱吉様は酒井雅楽頭忠清殿の老中職を免ぜられておられます」

茶坊主がいつの間にか置いた茶が冷めかかっていたが、寒い季節ではないから、堀田正篤は気にすることなく呑んだ。


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