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十八史略 -10 [稲門機械屋倶楽部]

                                                 2010-10-21 WME36 村尾鐵男 

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「隗より始めよ」

隗日、古之君有以千金使涓人求千里馬者。買死馬骨五百金而返。君怒

涓人日、「死馬且買之、況生者乎。馬今至矣」

不期年、千里馬至者三。今王必欲致土。先従隗始。況賢於隗者、豈遠千里哉。

〔隗(カイ)日く、古の君に、千金を以て涓人(ケンジン)をして千里の馬を求めしむる者あり、死馬の骨を五百金にて買いて帰る。君怒る涓人曰く、「死馬すら且つ之を買う況(イワン)や生ける者をや。馬、今に至らんや」と期年ならずして、千里の馬至る者三あり今、王必ず士を致さんと欲せば、先ず隗より始めよ況や隗より賢なる者、豈(ア)に千里を遠しとせんや〕

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この話は紀元前4世紀終りから3世紀初めの頃、古代中国の戦国時代が背景になります。戦国七雄の一国である燕(エン)は南に接する斉(セイ)に度々領土を侵されて困っていました。或る日、燕の昭王は臣下の郭隗(カク・カイ)に、「賢者を招く良い方法はないか」と尋ね、隗の答が上記の言葉です。

〈昔の君主に、涓人に千金を持たせて千里を走る馬を買いに行かせた者がおります。ところが、五百金で死んだ馬の骨を買って帰って来たので、その君主は怒りました。涓人は言いました。「死んだ馬を買うくらいだから、生きた馬を買うのは当然で、今に馬がやって来ます」と。一年も経たずに、千里を走る馬が三頭も来ました。今、王が賢士を招きたければ、先ずこの隗から始めていただきたい。そうすれば、この隗より賢い者が、千里の道を遠いとは思わずに現われます〉

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「涓人」とは宮廷内の清掃とか使い走りを役目とする使用人で、宦官が多かったと伝えられます。この頃の千金とか五百金は今の幾らに相当するのか、申し訳ありませんが私には判りません。「期年」とは一年間のことです。

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さて、そこで昭王は隗のために立派な宮殿を建てて住まわせ、師とも仰いで以前にも増した待遇で処しました。やがて「あの詰まらぬ隗があれだけの処遇を受けているのだから、俺ならもっと」と考える者達が現われ、燕の昭王は趙の名将楽毅(ガッキ)や陰陽説の祖と言われる趨衍(スウエン)を配下に擁することができて、国内統治に精を出し、やがて仇敵斉を攻め滅ぼしました。

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「隗より始めよ」は今でもしばしば遣われる言葉ですが、上記の語源となる物語を知らずに遣われている場合が多いようで、「手始めに身近なところから始めよ」と言うように曖昧、且ついい加減な遣い方が一般化しています。

(11)に続く


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