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日本の航空機産業 -1  [稲門機械屋倶楽部]

                               2010-10-13 WME36 村尾鐵男

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航空機製造事業法

昭和26年(1951年)98日、サンフランシスコで日本国の全権代表吉田茂首相が平和条約に署名し、批准を終えて日本が米国の占領下から独立したのが昭和27428日ですが、その3ヶ月ほど後の718日に「航空機製造事業法」が施行されました。

昭和36年のWMEを卒業した私達百余名の内、この「航空機製造事業法」に関係する業務分野で働いたのは私を含めて三名か四名だと想像します。

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「航空機製造事業法」は敗戦で航空機産業が壊滅状態になり、製造することも運航することも禁ぜられていた日本が講和条約の発効で独立し、ようやく航空機産業を再開することができるようになった折に、その航空機産業を秩序正しく再興するために施行された法律です。

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「航空機製造事業法」は航空機の製造に関する法でありますが、航空機の整備と修理にも秩序を求めており、当時の管掌官庁は通産省の航空機武器課で、その行政指導と規制の下で航空機産業を幅広く捉えて秩序ある発展を意図していました。しかし、この法では、自家用機を所有者が自ら行う修理や整備は法の対象外としていました。 

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私は航空会社で働いておりましたので、航空会社が自社で所有して運航する航空機は自家用機との扱いになり、その整備は当時の運輸省航空局が管掌する「航空法」の定めに従うのは当然でありますが、「航空機製造事業法」で縛られることはありませんでした。

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ところが、東南アジアには自前の整備能力に不足する航空会社が多く、このような航空会社が運航する航空機が日本へ飛来した折に整備を私達が依頼されることも度々で、これは航空機製造事業法で言う自家用機ではありませんから、法の適用外とはならず、しかるべき申請や届出と許認可が必要になりました。

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機体、エンジン、降着装置等々、航空機の主要部分が幾つかに分けられて、それぞれに事業許可がないと手を触れることができず、事業許可を受けても、次に整備の方法を定める方法認可も必要で、それに使う設備も特定設備として法に規定があり、設備の設置や入れ替えの都度、所定の手続きが欠かせませんでした。

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この航空機製造事業法は、航空機生産量の乏しい当時の状況下で、少しでも多くの航空機関連企業に仕事が廻るように受注量の調整を行うのが主目的でありました。ですから、運賃収入がある航空会社は、それに加えて他の航空会社の航空機を整備して収入を得ることは、通産省から見れば欲張った行為となり、できるだけ国内の航空機産業各社へ仕事を分けるよう要請されたことも度々でした。

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余談になりますが、当時、ビルマ航空が羽田空港へB727 型機で飛来しており、これの定期点検と整備を引き受け、作業が完了した後に、求めに応じて当座の予備部品等も機内へ搭載しておきましたが、彼らが飛び去った後に総てが残され、代わりに蒲田駅近辺で買い込んだ洗濯機や冷蔵庫が持ち帰られました。

(2)に続く


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