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唐詩選、別離と望郷の詩 -3 [稲門機械屋倶楽部]

                                       2010-10-05 WME36 村尾鐵男

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王昌齢「芙蓉樓送辛漸」(芙蓉樓に辛漸を送る)

寒雨連江夜入呉 平明送客楚山孤 洛陽親友如相問        一片氷心在玉壺

〔寒雨(カンウ)江(コウ)に連(ツラ)なって夜(ヨル)呉(ゴ)に入る。 平明(ヘイメイ)客(カク)を送れば楚山(ソザン)孤(コ)なり。洛陽の親友如(モ)し相(アイ)問(ト)わば、一片(イッペン)の氷心(ヒョウシン)玉壷(ギョッコ)に在り〕

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「芙蓉楼」は長江沿岸の鎮江(チンチャン)に在りました。鎮江は長江に沿う大きな港で、現在も長江を横断するフェリーの船着場として賑やかな場所ですが、三国志の時代からの要衝の地でもありました。私も上海と揚州を往復するときに幾度も鎮江を通っていますが、街は大きくても汚かった印象があります。その鎮江の街の西郊にある小高い山が楚山です。楚山と名付けられた山は中国大陸と朝鮮半島に少なからず点在していて、紛らわしい名前です。

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呉は概ね今の江蘇省であります。この詩から察して、王昌齢が送った友人は洛陽へ行くようですが、洛陽は黄河に沿っており、おそらく長江と黄河を結ぶ運河で江蘇省と山東省を北上すると察せられます。この運河は「大運河」、あるいは「京杭大運河」と呼ばれ、北京と杭州の間、ほぼ2500kmを結ぶもので、政治の中心である華北と経済産業の地である江南を直結し、加えて軍事的要衝も結んでいました。この大運河は隋王朝の煬帝が7世紀初めに完成させたものですが、このために国家財政を極端に悪化させ、又、使役に動員された農民からは怨嗟の的となって、隋王朝は三代の皇帝で終焉しました。

王昌齢の親友はこの大運河が長江と黄河を結ぶ部分の600kmほどを船で移動したと推察されます。

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張謂「糊中對酒作」

即今相對不盡歡 別後相思復何益

〔即今(ソッコン)相對(アイタイ)して歡(カン)を盡(ツク)さずんば、別後(ベツゴ)相思うも復(マ)た何の益かあらん〕

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張謂(チョウ・イ)も唐時代の進士で詩人でもあります。〈今、互いに相対して楽しみを尽くさなければ、別れた後で互いのことを思い合っても何の益にもならない〉との意味で、大いに酒を酌み交わそうと詠っております。題名は「湖中にて酒に対する作」と日本では翻訳されています。

(4)に続く


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