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唐詩選、別離と望郷の詩 -2 [稲門機械屋倶楽部]

                 2010-10-05 WME36 村尾鐵男

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于武陵 「勸酒」

勸君金屈巵 満酌不須辭 花發多風雨 人生足別離

〔君に勸(スス)む金屈巵(キンクツシ)、満酌(マンシャク)辭(ジ)するを須(モチ)いず。花發(ヒラ)けば風雨多く、人生別離足(タ)る〕

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「唐詩選と陶酔の世界」で酒を謳歌する詩として採り上げようとも思ったのですが、別離の詩として掲げました。金屈巵とは金の取手が付いた杯のことです。

于武陵(ウ・ブリョウ)は810年生まれとする文献がありますので、晩唐の時代に生きた詩人で、進士に合格しながらも官職には就かず、各地を放浪した詩人です。

〈君に酒を勧めよう。金屈巵に満々と注ぐが、断ってくれるな。花が咲けば風雨も多く、人生とかく別れが多い〉との意味です。

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李白「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」

故人西辭黄鶴樓 煙花三月下揚州 孤帆遠影碧空盡         唯見長江天際流

〔故人(コジン)西の黄鶴樓(コウカクロウ)を辭し、煙花(エンカ)三月(サンガツ揚州(ヨウシュウ)へ下る。孤帆(コハン)の遠影(エンエイ)碧空(ヘキクウ)に盡(ツ)き、唯(タダ)見る長江の天際(テンサイ)に流るるを〕

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李白が、親友であり詩人仲間でもある孟浩然が黄鶴樓を辞し、長江を下って揚州へ赴くのを送ったときの詩です。「黄鶴樓」は武漢市の武昌に再建されて、現在も観光の名勝となっています。「廣陵(コウリョウ)」は現在の江蘇省揚州市の地区として名が残っています。「故人」とは亡くなった者ではなく、親友のことです。「下る」は左遷されるのではなく、長江(揚子江)の上流から下流へほぼ600kmを下ることです。

〈親友が黄鶴楼を去って、煙花の三月に揚州へ下る。船の帆が一つだけ、遠く碧い空に消え、天の果てまで流れる長江だけが見える〉との意味です。 この詩の題である「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」は〈孟浩然が廣陵ヘ之(ユ)くのを黄鶴樓で送る〉と読みます。

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李白は詩仙人とも呼ばれますが、この呼び名を贈ったのは当時の詩壇の長老であった賀知章です。李白の名は、母親が懐妊したときに大白(金星)の夢を見たことに由来し、字も大白に因んで太白と称すると伝えられています。尚、李白は進士の試験を受けていないのですが、これは李白が西域の非漢民族の出であるからとの説があります。しかし、李白の出自は明らかになっておりません。

(3)に続く


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