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唐詩選と陶酔の世界 -6 [稲門機械屋倶楽部]

                 2010-09-05 WME36 村尾鐵男;

【羨君有酒能便酔 羨君無銭能不憂】                          〈君が酒あって能(ヨ)く便(スナワ)ち酔うことを羨む。君が銭(ゼニ)無くして能憂えざるを羨む〉                                         酒が世の憂さ晴らしであり、銭のないことも酒を飲めば忘れてしまえる者は唐の時代にもいたことがよく判ります。

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且欲近尋彭澤宰 陶然共酔菊花杯】

〔且(シバラ)く近く彭澤(ホウタク)の宰(サイ)を尋ね、陶然として共に菊花の杯に酔わんと欲す〕

〈近々、彭澤県の知事を訪ねて、菊の花を浮かべた酒で陶然と酔いたいと願う〉との意味で、九月九日の重陽の節句に菊花を浮かべた酒を飲む習慣の始まりとなった詩です。

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今日暫同芳菊酒 明朝應作斷蓬飛】

〔今日(コンニチ)暫(シバラ)く芳菊(ホウギク)の酒を同じくするも、明朝は應(マサ)に斷蓬(ダンボウ)と作(ナ)って飛ぶべし〕

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〈今日は九月九日、重陽の節句。共に菊花の酒を飲んでいるが、明日朝には君は何処かへ行ってしまう〉の意味で、原詩に九月九日の日付はありませんが、菊花の酒は重陽の節句の日しか飲みません。斷蓬とは根の切れた蓬(ヨモギ)のことで、ヨモギは枯れると根が切れてしまい、風に吹かれて飛びます。

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私は菊の花を浮かべた酒を飲んだことはありませんので、美味いのかどうか、香りが良いのかどうか、想像もできません。日本では昔の和歌か俳句に杯に紅葉の葉が落ちる光景を詠ったものがあります。

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九日陶家雖載酒 三年楚客已霑裳】

〔九日(キュウジツ)陶家(トウカ)酒を載(ノ)すと雖(イエド)も、三年の楚客(ソカク)已(スデ)に裳(モスソ)を霑(ウルオ)す〕

〈重陽の節句の日に、陶淵明の家に酒を持って行く人がいるが、遠い楚の国へ三年間も流されている自分にはその楽しみを分かち合えない〉との意味です。

(7)に続く

 
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