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唐詩選 高齢者は昔もいなかった -3 [稲門機械屋倶楽部]

             2010-09-03 WME36 村尾鐵男

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閒雲潭影日悠悠 物換星移度幾秋】

〔閒雲(カンウン)潭影(タンエイ)日々悠々。物(モノ)換(カワ)り星(ホシ)移り幾秋(イキアキ)を度(ワタ)りし〕

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王勃(オウ・ボツ)の「騰王閣」に詠まれた詩です。騰王閣は今でも中国観光で大勢の日本人が訪れる場所で、唐の太宗の弟、騰王李元が江西省南昌の地に7世紀末に建てました。但し、今も観光客を集める騰王閣は20年前に建て直して復元されたものです。

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南昌は長江の南岸に位置し、騰王閣はその支流の一つに面し、眺望は絶賛に値するものです。南昌は戦時中は日本軍航空隊の根拠地であり、長江(揚子江)に沿って飛び、さらに上流に在る武漢や重慶の爆撃を続けました。

当時の飛行機は地文航法、即ち、眼下の地形を観ながら自分の位置を決める航法を採っており、幅の広い長江は絶好の目標となりました。

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重陽の節である九月九日にこの騰王閣で宴が開かれ、王勃が「騰王閣序」と題する一文を草し、続いて詠んだのが上記の詩ですが、このとき王勃は僅かに十七才であったと伝えられます。王歿は詩にも英才振りを発揮しておりますが、どちらかと言えば、文書の作成を得意としたようで、今でも拓本の世界では王勃の文章はしばしば目にすることができます。

この王歿は、劉廷芝と同じ28才で歿しておりますが、その豊かな才能を妬まれて誰かに毒を盛られたのではないようです。

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閣中帝子今何在 檻外長江空自流】

〔閣中(カクチュウ)の帝子(テイシ)は今何(イズ)くにか在(ア)る。 檻外(カンガイ)の長江(チョウコウ)空(ムナ)しく自(ミズ)から流る〕

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これも王勃が重陽の節に詠んだもので、〈騰王閣に住んでいた騰王は今は何処におられるのだろうか。欄干から見下ろす長江だけが空しく流れている〉との意味で、人が亡くなっても、大自然は悠然と残ると詠っています。                                (了)
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