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本邦航空黎明期外史(3):海軍試作機〈明星〉 [稲門機械屋倶楽部]

                                 ・・・2010-03-12 MEW36 村尾鐵男  海軍試作機〈明星〉

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戦争も敗色濃厚となっていた昭和201月、海軍は試作機である〈明星〉の試験飛行を生駒山上空の辺りで行いました。しかし、この〈明星〉は量産態勢が整う前に終戦となり、世に知られることなく終りました。

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第二次大戦中の欧州戦線で目覚しい戦果を上げた軍用機の中に英国デハヴィランド製のモスキート急降下爆撃機がありました。このモスキートが木製の飛行機で、我等が海軍は、戦局切迫によって航空機用金属材料が不足している折から、モスキートに倣って木製の艦上爆撃機の開発を思い立ち、その試作が松下航空機に命ぜられました。松下航空機は松下電器が設立した会社で、木製航空機製造の専用工場でもあり、私の記憶が曖昧ですが、この工場は盾津に在りました。

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〈明星〉は海軍によって設計され、前後に二人が搭乗しますが、操縦席も操縦士の顔が機体上部に露出する簡潔な構造であり、偵察、弾着観測、急降下爆撃と、いささか多過ぎる任務を課された新機種ですが、取敢えずは練習機を試作したと伝えられております。

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さて、生駒山上空での試験飛行ですが、予想外の結果が生じました。もう30年ほど前のことだったと記憶しますが、日本経済新聞の「私の履歴書」で松下幸之助氏が自ら執筆された記事を私自身が読んで覚えていることですが、生駒山上空を飛ぶ〈明星〉から、大きく「ポー、ポー」と音が発せられ、これでは敵に接近を報せることになって偵察の任務は果せないので、急遽設計変更が必要になったとのことです。

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〈明星〉は木製ですから、胴体は断面が丸く、中は空洞になっていて、その上部に操縦席用の穴が開けられています。試験飛行は一人で飛ぶので、二人目の偵察員や爆撃手が搭乗する操縦席は穴のままになります。この状態で飛ぶと、〈明星〉は笛と同じになって、「ポー、ポー」と妙なる音を奏でたと想像され、木製機ならではの現象であります。木製の横笛を縦にして空中へ放ったのと同じです。

日本と似て資源の少ない英国には木製や羽布張りの飛行機が多数開発されており、第二次大戦中にアジア戦線で日本の陸海軍機と戦ったハリケーン戦闘機も胴体の後半分は羽布張りでした。操縦士を銃弾から保護するために、操縦席のある前半分はアルミ合金で覆ってありますが、強度がそれほど求められない胴体後部は羽布張りの方が機体重量を軽くできたと考えられます。銃撃を受けても穴が開くだけで、被害は最少です。

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話は本邦航空黎明期から一気に飛んでしまいましたが、〈明星〉のみならず、木製飛行機は決して模型の世界だけのことではなく、本物の飛行機にも多用された実績が豊富にあります。私が羽田空港で働き始めた昭和30年代後半の頃でも、航空機整備部門に木工職人がおり、木工工場がありました。叉、軽飛行機のプロペラは今でも木製が多数使われており、あの複雑な曲面を成形するには木材は最適の材料でもあります。

(4)に続く


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ぼくあずさ

材料不足に悩まされた”明星”設計技術者の悲壮な心情が思い浮かびます。私が国民学校に入学した終戦直前のS20年、B29から大量に撒かれた銀色に輝くテープを追った折に秋川丘陵に小さな飛行場を見つけ、そこに木製の戦闘機があったので逃げ帰った記憶があります。子ども心に、この戦闘機でB29に体当たりする兵隊さんが可哀そうだと思いました。多分、デコイだったのだのでしょう。私の曽祖父は駿府で人力車(木製)の製造を試みたと聞いています。
by ぼくあずさ (2010-03-15 07:49) 

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