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本邦航空黎明期外史(2):本邦最初の飛行機は誰が作ったか [稲門機械屋倶楽部]

                                    ・・・2010-03-12 MEW36 村尾鐵男

本邦最初の飛行機は誰が作ったか

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日本最初の国産飛行機は「奈良原式二号」と呼ばれ、明治44年(1911年)55日に所沢飛行場で初飛行に成功しました。実は、これ以前に「奈良原式一号」が完成しており、明治431024日に戸山が原練兵場で飛行を試みましたが、滑走とジャンプはしたのですが、空中には浮きませんでした。奈良原式は海軍技士であった奈良原三次が独力で設計したものでありましが、エンジンだけは当時の日本で如何ともし難く、フランス製を輸入しております。

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私が表題とした〈日本最初の飛行機は誰が作ったか〉の「誰」は、この奈良原三次とか、この後に続く大阪の森田新造、東京本所の都築鉄三郎、同じく東京の高左右(タカソウ)隆之、有名な白戸栄之助、さらに有名な伊藤音二郎等々を指すのではなく、当時の飛行機を作ったのは大工職人であったことです。

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当時の飛行機は骨組みを木の柱で組み、布で覆い、表面を塗装しました。木は檜材が多かったと聞いており、叉、布は亜麻とか木綿を使い、塗料はドープ(Dope)と称し、機体表面を滑らかにし、気密と防水の効果を得るために硝酸繊維素系か酢酸繊維素系の塗料でありました。

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機体の製造は従って木工作業が主体になり、ここに腕の立つ大工職人が起用されました。幕末安政年間の初め、日本でも軍艦が建造され、幕府のみならず、伊達、肥前、薩摩等の雄藩も軍備の近代化を目指して西洋式軍艦の建造を競いましたが、その軍艦は木造であり、造ったのは船大工達でした。

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私達の先人が西洋式外洋船を自ら建造すべく着手してから、飛行機を製造するまでに半世紀余の年数が経っておりますが、我が国には未だ飛行機の必要性が認められておらず、必要のない分野では技術者と呼べる職種が育っておらず、叉、軽くて堅牢な金属材料もありませんでした。そのために木材で飛行機を作るのは自然な発想であり、木を加工するなら大工が起用されるのも当然のことであったと思われます。

しかし、木の飛行機だからと言って侮り心配することはありません。自動車にも鉄道車輌にも木は多用されており、加工が容易で、軽い割には適度な強度があり、しかも容易に入手できました。その上、不時着水しても直ぐには沈まないのが特徴で、木は胴体だけでなく、エンジンを除く各所に使われ、動翼もプロペラも木製でした。

飛行機に金属が使われるようになるのは大正5年(1915年)頃以降で、軽くて高い強度を持つアルミ合金が製造されるようになってからです。

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しかし、今でも軽飛行機には羽布張りを部分的に採用している機種もあり、木を使った機種もあります。あの有名なDC-3型機も、木材こそ使われていませんが、動翼には羽布張が採用されておりあました。

(3)に続く


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