SSブログ

我が懐かしの名車と迷車(17) [稲門機械屋倶楽部]

                                                                     ・・・・・村尾鐵男 書き下ろし

14.日産・ブルーバード U12

1987年、初夏の暑い日にブルーバードU12型、1800XE Saloonなる緑色の4ドアー車に乗り換え、冷却水の温度を気にすることなくエアコンを快適に作動させたのを今でも覚えています。 

.

戦後間もない昭和24年、日産は英国オースティンとの技術提携を活かしたダットサン・セダンを発売し、これを110型と称し、以降、910型まで続きますが、何故か710型はブルーバードとしては欠番です。正確に言えば、710型は“ヴァイオレット”の車名で発売されたのですが、ブルーバードの廉価版とでも言えるもので、これは日産の失敗作となりました。 

.

余談を二つ書かせていただきますが、ダットサン・セダン110型は、日産の生産態勢が未だ十分に整っていない時期で、大半の車体が三菱重工で製造されたと聞いた覚えがあります。三菱の零戦が、実はその3分の2が中島飛行機で製造されていたのと似たようなことです。 

.

ダットサン・セダン210型はオーストラリア縦断レースに参加し、その報告会が赤坂にあった日本自動車技術協会で開かれ、稲門機械屋倶楽部3年生の私も仲間と共に聴き入り、カンガルーに衝突した生々しいスライドを見て唸りました。 

.

“ブルーバード”の名は310型から冠せられるのですが、昭和58年発売の七代目ブルーバードからは前輪駆動のU11型となり、私のU12型は昭和62年から4年間に及んで製造販売された八代目ブルーバードでした。 

.

相変わらず犬山の工業廃水処理装置の製造会社までの日帰りが続いていましたが、東名高速道路での往復750kmの走行にも不安はなく、快適に走りました。ただ、ブルーバードにはクルーズ・コントロール機能がなく、アメリカ車のようなズボラな運転はできず、アクセル・ペダルを踏んだままでの走行は疲れました。とは言え、再び乗り換えた前輪駆動のブルーバードは期待を裏切ることなく安定した走りを示し、日本製乗用車に乗った安堵感もあって、楽しく走り続けました。 

.

この頃、某石油会社より新たに開発したエンジン・オイルを飛行機に使ってくれと試供品が届きました。ジェット・エンジンとピストン・エンジンの潤滑油はまったく異なる技術仕様となるのですが、持ち込まれたサンプルはピストン・エンジン用でした。既に全機がジェト化されて長く経っているのに、何故ピストン・エンジン用の潤滑油が届いたのか判らないままに、これを個人的に試させてもらいました。カーボン成分の多い黒い潤滑油で、私のブルーバードのエンジンはこのオイルで一層滑らかに回転しましたが、困ったことが一つありました、ガソリン・スタンドへ給油のために寄り、トイレを借りている内に、勝手にエンジン・フードを開けられてオイル・スティックを抜かれ、真っ黒なオイルを見て、オイルが汚れているから交換しろと執拗に迫られたことです。このオイルは結局発売されなかったようですが、誤解を招き易い色でした。

                                                ・・・ 2009524日記

(18)に続く


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。