SSブログ

グローバル Web アイコン日本が植民地にならなかった理由は“西洋の模倣”で … [フリューレン村だより]


日本が植民地にならなかった理由は“西洋の模倣”で …

前島密は英国の植民地化を目指して漢字を廃止、英語を第二日本語にすることを主張。大隈重信は母の祖母杉浦スミの実兄杉浦謙をパリ万博に派遣、彼は甲府藩勤番時代にも西欧を視察しており英国より9年新しい仏国の郵便制度を日本に持ち帰った。日本橋の郵便局長がいると母から聞いていた。私が早稲田大学で学んだ遠因です。私の老後の面倒見を務めてくれている妻の父親は早大評議員名誉教授であり、富士電機時代大切にされたのも永らく社長・会長を務められた阿部さんが駒中(天台宗中学)の先輩であったことに無縁ではない。江戸城明け渡し、将軍政治の中奥で女官を勤めていた8400石取りの筆頭旗本の娘、19歳の祖母杉浦スミから教えを受けた母は普通の田舎育ちの娘ではありません。早稲田の4年間学術に秀でよ、成績は気にするな。人脈を創れとの母の教えは私の人生にメリハリを与えて呉れました。私の英国系北方ゲルマンの鼻形は徳川の幕臣杉浦が監視対象とした伊達政宗といろは姫、三鷹市役所辺りに居を構えた平将門乱の敗残武蔵七党大本家野嵜の血流を母から受け継いでいる。徳川幕府は幕末に横須賀に造船所を建設しており、今でも仏人技術者ウエルニーの名前は公園名に使われています。初代観音埼灯台建設も係わっています。此処で父についてお話します。祖父西島角蔵は駿府伝馬町に居を構えた家匠(徳川家専属の宮大工の棟梁)でした。31歳の若さで亡くなり、16歳の婿取りをした時母西島亜紀の父親は歌川広重の浮世絵草子屋杉本姓でした。侍を辞めた和田落人かも知れません。角蔵の血脈は私を迂回して娘二人が受け継ぎました。長女亜紀はフェリスから武蔵野美大へ、次女未紀子は捜真女学校から女子美大学院へ進学。如何やら戦前日本一の材木問屋武市で働いていた祖父廣雄と祖母キンの人脈を大切にする材木屋の血筋を受継いでいるようです。

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 5

コメント 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。